この話はつづきです。はじめから読まれる方は「ピアノコンチェルト第1楽章『モデラート』」へ
プレゼンテーションは、マンション建設予定地内のモデルルーム兼管理事務所を会議室で行われている。仮設とは思えないほどの立派な会議室にあやは、驚かされた。そのプレゼンテーションの持ち時間を5分残し、クライアントの質問も出尽くしたようだった。
時間が足りなくなることよりも、多少時間が余るのは良いことだ。あやは安堵と達成感を感じていた。ファウンデーションにより気付き難いが額にはうっすらと汗が滲み、ジャケットに隠されているがブラウスにも染みが滲んでいるのだろう、柑橘系のほのかなコロンの香りが増していた。
「ありがとう、とても解りやすいプレゼンでした。我々からの質問はありません。結果は来週の金曜日までにはお伝えします」
クライアントを代表し司会役のPR担当役員が明るい声で、プレゼンテーションの終わりを宣言した。
『よしっ』
誰にも気付かれないような小さなガッツポーズをしたあやは、クライアントに向かって深く一礼した。
「本日は当社にこのような機会を与えてくださりありがとうございました。また、ご一緒させていただけるよう願っております」
社長の挨拶を合図に、プレゼンに参加したメンバーも深くお辞儀する。クライアントのひとりが柔らかな笑顔見せてあやに言葉を発する。
「今日のために随分念入りに現地調査をしたんでしょ?」
「はい。この1ヶ月で延べ10日ほどは、こちらにお邪魔しておりました」
「そうだろうね。地域の学校や病院、公共施設をプレゼンテーションに織り込んでいるのでそう感じたんだよ。地域住民の目線を表しているのが良かった。デベロッパーとしての我々のスタンスは地域と共に発展することでありシャッター商店街を作る訳にはいかないからね」
あやは、自ら考えていたコンセプトがクライアントに正しく理解されたことが嬉しく感じた。ビデオカメラを片手に歩き回り、地域住民からとも話をし情報を得て、今ではお気に入りのレストランもある。
「簡単なグルメマップなら作れるかも知れません」
「今日はありがとう。改めてジョブ・ウェルダンだったよ」
クライアントの代表者の言葉で全員が立ち上がり、会釈をしながら会議室を出た。会議室の外ではあやの会社の社長とクライアントの責任者である広告宣伝統括役員が夜の懇親会の相談を始めたようだ。
専務があやに労いの言葉を掛ける。
「グッジョブだった。昨日のリハーサルより良くできたんじゃないか?緊張してる様子もなかったし」
「専務、最初は緊張して汗だくでした。それでも、途中でクライアントの皆さんの表情が和らいで見えた瞬間があったので落ち着き始めたんです」
「商店街のおじちゃん、おばちゃんのビデオメッセージのところだろ?あれは効果的だった」
「脚を棒にして歩き回ったからこそ協力してまらえたんだと。。。今は結果がどうであれ達成感があります」
会話の途中ではあったが社長とクライアントの相談事が決まったようだった。社長が専務に伝える。
「夕方のラッシュが始まる前に高速に乗ってしまった方がいい」
「車をロビーに回しますのでお待ちください。じゃあ、後は頼む。本当は懇親会に華を添えてもらうのも良かったんだけどな」
社長とあやに話し掛けると専務は駐車場に向かった。
「きみは明日の戻りだったな?気を付けて帰るように」
「ありがとうございます、社長。今回お世話になった地域の方に挨拶回りして東京に戻ります。それに、お気に入りのレストランでひとり祝杯を上げるのも悪くないかと」
「シェフがイケメンなのか?」
「残念ながら、あの店のシェフは女性です、社長」
現地入りした社長と昼食を共にした時に出掛けたイタリアンをアレンジした多国籍料理を提供するレストランだった。その時は時間も限られていたためシェフに会うことはなかったが、味を気に入ったため、その後何度も足を運び今では馴染みのレストランになっていた。
「社長、専務の車が参りました」
ロビーの外では、同乗するクライアントの二人が立っていた。
「今日はご苦労様だったね。ゆっくりと上手い多国籍料理とワインを楽しんでくれ。オーストラリアのワインも割りといけるぞ」
「ありがとうございます、社長。お気をつけて。懇親会では飲み過ぎなさらないでくださいね」
そしてあやは、クライアントのために後部座席のドアを開けながら
挨拶を交わした。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそありがとう」
専務の車が発信しテールランプの灯りが見えなくなるまでお辞儀の姿勢を続け、ふうっーと安堵の溜め息をついた。自身のバッグを置いていたロビーのソファに腰を下ろすとバッグからシステム手帳を取り出した。カレンダーのページを捲りメモのページを開くと、以前ファッション雑誌に知らぬ間に貼られていたポストイットが目に入る。『思い出?それともきっかけ?』のセンテンスの後に続くブラックベリーのメールアドレスに目を落とした。
『あの日から1ヶ月以上経っているけど、覚えているかしら?』
あやは、半信半疑のまま自らのスマホにポストイットに書かれたアドレスをタイプし、タイトル欄には『思い出?きっかけ?』と入力し悩んでいる顔文字を添えた。
『返事は来るかしら?』
仕事の達成感から気分が高揚していたあやは、多少大胆になっている自分自身に戸惑いながらも送信を選択してしまった。返事がなかった時の自らのプライドを保つためにメール本文はブランクのままだった。
マンション建設予定地内のこの事務所から滞在先のホテルまでは約1キロの距離がある。徒歩で15分ほどで、お気に入りのレストランはホテルから3ブロックほど手前だ。レストランに向かい歩き始めたあやは、スーツの胸のポケットにしまったスマホのメール着信を気にしていた。それでもレストランまでの間に着信したのは登録しているメルマガのみだった。
レストランに入るにはエントランスへの石段を3段上がり、来客を知らせるカウベルが取り付けられた木製のドアを開く。ガラス越しに中を覗くと女性シェフが常連客とおぼしきグループと談笑しているところだった。
「こんばんは」
ドアを開けながら挨拶をする。
「いらっしゃいませ。あらっ。。。」
来客があやであることに気付いた女シェフが親しげな笑顔を見せた。
「また来ちゃいました」
「こんばんは、ようこそ。お好きな席にどうぞ」
店内を見渡すとグループ客の他には、女性3人のグループと一組のカップルが離れたテーブルにいた。
「せっかくだからカウンターに座ってもいいかしら?キッチンの様子も見せていただけるし」
完全なるオープンキッチンではないが、5席あるカウンター席からは厨房の中が少し覗ける。多国籍料理を名乗るレストランだけあって、テーブルそれぞれに特徴がある。赤と白のチェックのテーブルクロスが掛けられたカジュアルなものや丸太から削り出したようなテーブル、それにアンティークな正方形のテーブルと気分や人数で座る席を選ぶのが楽しそうだ。
常連のグループからオーダーを料理する厨房に入る前に女性シェフはカウンター席に立ち寄りあやの注文を聞いた。
「何かお飲物をお持ちしましょか?」
「オーストラリアのワインを勧められたの。。。何かあるかしら?」
あやは、社長の言葉を思い出していた。
「それなら、イエローテイルのバブルス・ロゼがお勧めです。スウィート・チェリーのほのかな甘みが特徴よ」
「じゃあ、それいただきます。あとシェフの気まぐれサラダ。今日はどんな気まぐれなのかしら?」
「根菜とロメインレタスにオニオンベースのドレッシング。軽く素揚げしたお蕎麦をクルトンの代わりに掛けてます」
「美味しそう、じゃあサラダもお願いします」
「かしこまりました。また後で来るわね」
何度かこのレストランに通ううちに女性シェフと親しくなっていた。同い年で血液型と星座が同じこと、お互いのプロ意識を感じ合ったことから、今では友人のように思っている。
グラスで運ばれたワインはほのかにイチゴの香りがした。よく冷えていて、爽やかなのど越しだ。
『You got a mail』
グラスをカウンターに置くと同時にジャケットの胸ポケットのスマホがメールの着信を知らせた。
あやは、深呼吸をした後、スマホを取り出しメールを確認する。
『無言のメールっていったい。。。映画館では楽しんで貰えたんだろ?それなのに1ヶ月以上経ってまだ迷ってる?まさかメールが来るとは思わなかったよ』
あやは、素早く返信した。
『こんばんは、私も返事をいただけるか自信がありませんでした』
送信と同時にサラダが運ばれて来た。オニオンの甘みが特徴的なドレッシングが、しゃきっとした根菜と素揚げした蕎麦のカリッとした食感を引き立てていた。
『You got a mail』
『思い出か?きっかけか?その答を聞かせて貰えるかも知れないんだ。当然リプライするよ。今どこ? おれはまだオフィスなんだけど』
あやは、時間を意識していなかったが、まだ夕方の6時を少し過ぎたところだ。男の仕事の邪魔をしていないか心配になった。
『お仕事中、ごめんなさい。お仕事終わったらメールいただけますか? 私は、出張で東京じゃないんでひとりでお食事中です』
サラダを食べながら返信したところに女性シェフが現れる。スマホを操作する姿を見て思ったのだろう。
「あらお仕事してるの?」
「いえ、違うの。。。ちょっとメールに返信してただけ。 ワインとてもフルーティでおいしい。 それにサラダも美味しかったわ」
メールをしているところを見られた恥ずかしさなのか、メールをしている相手の男との映画館での出来事を思い出してなのか、それともワインのせいなのかあやの頬は少し赤く染まったいた。
「次、何かお持ちしますか?」
「そうね、変わったパスタを食べてみたいかな。あと、ワインをもう1杯お願いします」
「それなら少しスパイシーなパスタはいかが? タイ料理風にアレンジしたペスカトーレを想像してもらえばイメージしやすいかしら」
「美味しそう、それお願い」
「はい、じゃあ作ってきますね」
女性シェフが厨房に戻るタイミングでメールを着信した。
『仕事は自分で切り上げない限りエンドレスにあるから、食事を終えた時でもホテルにチェックインした時で知らせてくれないか?』
メールを送信したタイミングで、顔馴染みのウェイトレスがワインとアンティパストの盛合せ小皿を持って来る。
「ワインお待たせしました。こちらはシェフからです、パスタの茹で上がりに時間が掛かるからと」
「嬉しい!お礼を伝えてくださいね」
アンティパストは見た目にもカラフルで白い皿と美しいコントラストを見せ、食べてしまうのがもったいないほどだ。スマホで写真を撮ろうとしていると、女性シェフがタイ料理風にアレンジしたというパスタを自ら持ってきてくれた。シーフードが散りばめられ見た目にはペスカトーレであるが、スパイシーな香りはトムヤムクンにも似ている。
「はい、お待たせしました。あら、お口に合わなかった?」
「違うの。あまりに綺麗な盛り付けで写真を撮ってたの」
「ブオナペッティート、召し上がれ」
明るい笑顔を残し、忙しそうに厨房に戻る女シェフを見送ると、あやは運ばれて来たパスタとアンティパスト、ワイングラスを並べて写真を撮って映画館の男へのメールに貼り付けた。
『美味しそうでしょ? 仕事中の方には目に毒かしら。。。ホテルにチェックインしたらお知らせします』
『You got a mail』
『ボナティ!イタリアンにフランス語じゃ変かな? 連絡待ってる』
『ブオナペッティート、さっきシェフに言っていただいたけどフランス語に似てますね』
程よくスパイスの効いたタイ料理風のペスカトーレのソースは隠し味にナンプラーを使い、スパゲッティより少し太いリングイネに合っていた。カラフルで食べるのが惜しいアンティパストも4種の味を楽しめた。
「ご馳走さまでした、とても美味しかったです」
「ありがとうございます、またいらしてくださいね」
女性シェフと挨拶を交わすとメインストリートを駅の方向に進む。駅前のバスターミナルの少し手前に一昨日から滞在しているホテルがある。ホテルは全国に展開するチェーンホテルではなく、この地に古くからあるホテルの別館として数年前にオープンした規模の小さいホテルだった。
駅から近く利便性が良いためビジネスホテルとして一泊だけの利用者が多いのは事実であるが、ビジターのためのクラブラウンジはランニングマシンやライブラリーの利用が出来る隠れ家的な要素を併せ持つ。
フロントデスクで電話対応するスタッフに会釈を送るとエレベーターのボタンを押す。ロビーフロアに止まっていたため扉はすぐに開く。部屋のある7階のフロアまではノンストップで到着した。
カードキーでロックを解除し、ドアを開けルームランプを点灯する。バッグをデスクに置くと、ジャケットをクローゼットのハンガーに掛ける。胸ポケットからスマホを出すとベッドに腰を下ろしあやはメールを打ち始めた。
『まだお仕事中でしょうか? わたしはホテルに戻ったところです。都合がよろしければメールしてくださいね。あや』
映画館でたまたま近くに座ったことがきっかけになり、知らず知らずの間にオナニーをさせられてしまったこと。自ら腰を浮かせ、男の指の侵入を許してしまったこと
を思い出していた。思い出すだけで体が熱くなるほど恥ずかしいのに、今また映画館の男にメールしている、理由は自分にも理解できていない。
『You got a mai』
程なく男からのメール着信をスマホが告げた。
『あや? あやって言うんだ。電話で話したいなら番号を知らせるけど』
一瞬迷いはあったが、番号を知らせるのは怖かった。メールをやり取りし少しずつ気分を高めて行くことを考えていたのかも知れなかった。
『こうしてメールで話すのはダメですか? ごめんなさい、携帯の番号をお知らせする勇気はまだありません』
『あらから1ヶ月以上過ぎて、どうして今日になってメールをくれたのかな? また映画館で合いたくなった?』
『お仕事のプロジェクトで、この1ヶ月間がむしゃらに仕事をしていました。それが今日一段落着いて』
『仕事の達成感から気分が大胆になった?そして、この1ヶ月の鬱憤を晴らしたいってことだね?』
『自分でもよく解りません。でも達成感を感じているのは間違いありません。そして、あの映画館の時のように感じたいんです』
『わかったよ。恥ずかしい命令をして欲しいだ? いいよ、たっぷり感じさせてやるよ』
男とのメールのやり取りだけで体が熱くなる感覚をあやは覚えていた。指で触れなくても乳首が突起し始め、蜜が溢れだしたこともわかる。
『わたし、そんなに経験がある訳ではないのですがセックスでいったこと無いんです。でも映画館であなたの指でいくという感覚を知ったかも知れません』
『光栄だね、その大胆な告白は。でも、今日はもっと恥ずかしい思いをしてもらうからな。思い出か、きっかけになるように』
男とメールをやり取りするに連れどんどん大胆になる自分に酔いしれていることが、更に気分を高めて行く。メールを打ち、返信を待つ間にブラウスのボタンを外し、スーツのボトムスも脱いでいた。
『メールを読むだけでもう感じてしまっています、今夜だけ私を奴隷にしてください』
『鏡の前に行って、その感じている姿を映してみな。まるで映画のスクリーンを観てる気にならないか? それとも、携帯のカメラで感じている姿を撮ってごらん』
『あぁん、乳首がすごく敏感になってます。指が触れるだけで声が出てしまいます』
あやは、鏡に映る自らの上半身に向けてスマホを向けるとディスプレーを見ながらシャッターを押す。シャッターが押されたことを示す電子音がホテルの部屋に鳴り響いた。
『携帯で撮りました。見てくださいますかわたしの恥ずかしい姿を?』
メールを送信すると、男が映画館でした動きを再現し始めていた。突起した乳首の先端を弾くように乳輪に沿って円を描く。
「あぁん、気持ちいい」
『You got a mail』
『いやらしい表情だな、映画館での緊張した顔とは違う。本当はもっと感じているところがあるんだろ? どこが感じているか言ってごらん』
『あぁん、乳首も乳房もすごく敏感になってます。あなたの指でされている時みたいに。』
ひとりでするオナニーよりも、見られている感覚を得ているせいか余計に感じている。
『わたしのオナニーを見てください、もうびしょびしょです』
全裸になり、間接照明だけで薄暗いベッドルームから明るいバスルームに移り鏡の前でオナニーする姿を写真に納める。
『指を入れているのか?指がやけどしそうに熱いだろ、おまえのあそこの中は』
『お尻の穴に指を入れられたのはあの時が初めてでした。あんなに感じるとは思いませんでした。お尻も見てください』
バスルームの鏡に背を向けて、自分自身の後ろ姿を映し出す鏡の写真に撮ってみる。感覚だけで撮った割には上手く撮れていた。
『挑発的な姿だな? アナルを開発されたいのか? あの時、おまえにフェラチオをさせなかったことを後悔してるよ。今も、あの時のようにカチンカチンになっている』
『あああん、お口に欲しいです。あなたの固いもの』
『一滴も溢さずに全部飲み干すなら口に出してやる』
あやは、スマホ洗面台に置くと左手の人差し指から中指の三本の指を口に捩じ込み、映画館でフェラチオしていることをイメージした。舌を絡めながら指を出し入れすると、右手の動きが自然に荒々しくなる。
左手が奏でる「ジュルジュル」とい音と右手が奏でる「クチュクチュ」という音がピアノコンチェルトのような旋律を生み出していた。
それはまるで、指揮者のタクトが『アジタート』に動き、オーケストラを熱情的に、そしてオーディエンスを興奮に導くようなものだった。
第3楽章特別編『アジタート』完。
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