シェリー・ラッセルの話をしよう。
シェリーは金髪の女の子だ。毎朝、K駅の駐輪場に長い髪をなびかせて滑り込んでくる。
施錠も慌ただしく、前カゴからスクールバッグを手にすると軽やかにスカートを翻して改札口に駆け込む。いつもぎりぎりなのだ。時には寸前で電車のドアが閉まって乗り遅れることもある。そんな時、彼女は大きく息をついて首をふり、あっけらかんとした顔でベンチに腰掛ける。そして口笛を吹くように口を尖らせてきょろきょろとあたりを見回す。その表情がなんとも可愛い。
彼女を見かけるようになったのは今年の四月初めのことだから四か月ほど前になる。初めて見た時の印象は私にとって衝撃といえるものだった。見慣れているM女子学園の制服が目の前を走り抜け、思わず立ち止まった。目が眩んだように感じたのだ。
美少女……。心で呟いたものの、とてもそれだけでは形容、賛美できる美しさではなかった。気品と崇高さを感じさせる目鼻立ち。伸びやかな肢体、それぞれのあるべき膨らみとのバランス。たちまち私は彼女の虜になってしまった。我に返って後を追い、息せき切って同じ電車に飛び乗った。
込み合う車内で朝の陽ざしを受けて彼女の髪は眩しく輝いていた。色白の肌は北欧系の面立ちにしては日本人のように滑らかな肌理をしていて、瞳も黒かった。その愛くるしい目がくるくると動き、私は胸苦しいほどのときめきに揺れていた。
その名を知ったのは六月になってからだ。いつものように風を切ってやってきた彼女が自転車を停めて走り出した途端、カバンの中身が飛び出てしまった。留め金をしっかり掛けていなかったのだろう。振り上げるようにカゴから引き上げた勢いで逆さになったのだ。
「キャー、キャー」
彼女は黄色い声を上げて屈み込んだ。私には使い道のわからない小物類も散乱した。私は駆け寄って拾い集めた。
「すみません」
完璧な日本語であった。その時、生徒証が目に入った。アルファベットの下にカタカナで『シェリー・ラッセル』と記されてあった。教科書はすべて日本のもので、いかにも女の子らしいキャラクターのシールがいくつも貼られてあった。
立ち上がった彼女はカバンを前にして手を揃えると丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございました」
はいかみを滲ませたような微笑みに私は年甲斐もなくうろたえた。
その日からシェリーは完全に私の心に棲みついた。彼女に抱いた想いは純粋に熱い愛しさからくるもの。私はそう信じていたし、そうでなければならないと思っていた。なぜなら、シェリーはあまりにも美しかったから。……邪念は彼女を汚すことになる。そして青春へ回帰する、想念の中の自分を貶めるような気がした。三十歳の中年にさしかかった男が追いかける相手ではない。心の宝石にしようと思ったのだった。
それ以後、言葉を交わすことはなかったが、目が合うと彼女は必ず微笑んで挨拶するようになった。
(天使の微笑み…)
私は彼女と出会う度に小さく声に出して笑みを返した。
夏休みになって、爽やかなシェリーの姿が見られなくなった。たまに大きなバッグやラケットを肩にかけたM女子学園の生徒とすれ違うことがあった。部活動なのだろう。
(彼女ならどんなユニフォームも似合うだろうな)
後ろ姿を見送りながら、想いは新学期に向けられていた。
ところが思いがけない出会いが待っていた。
高校の同級生の多田野から海へ行かないかと誘いがきたのは夏期休暇の二日前のことだ。急な話だったが、特に予定はなく、どこかへ釣りにでも行こうかと考えていたので、海と聞いてその気になった。
西伊豆の堂ケ島の近くにあるリゾートホテルの敷地内にバンガローがあって、三日間予約できたのだという。よくよく聞いてみると、会社の仲間四人と行くはずが一人来られなくなったらしく、私は頭割りの負担を減らすために呼ばれたようだった。
仕事の都合で私は一日遅れて合流した。多田野の友人二人も気さくな男で、私たちはバーベキューを囲んでしたたか飲んだ。
高級なホテルである。ホテル前の海岸はプライベートビーチになっていて、宿泊客とバンガロー利用者以外は立ち入り出来ないようになっている。
「一泊一人5万以上だぜ」
多田野は建物を見上げながら、ちょっと溜息まじりに言った。
「ここは一棟3万だからな」
「同じ気分でやろうぜ」
私たちは乾杯して笑い合った。
酒がすすむうちに、ホテルにはいい女がたくさんいるという話になって、
「外人もけっこういるんだよ」
多田野はおどけて舌舐めずりをしながら言った。
「昨日、可愛い外人見つけた」
「そう、モデルみたいな、すっげえの」
「あれはいいなあ」
三人はその外人の話に夢中になった。それがシェリーだった。
翌日の朝食後、ビーチに続く散策路の近くで一服していると、多田野が私の膝を叩いた。
「来たよ、あのマブ外人」
振り向くと水着姿の若い女が三人、バスタオルを肩にはおって歩いて来る。その中の一人が抜きん出て目をひいたのは好みとは別の次元の問題だった。すらりと伸びた脚、引き締まったヒップとウエスト。明らかに日本人とは異なる体形と長い金髪を見た時、私はその体に制服を重ねていた。サングラスをかけた横顔は間違いなくシェリーであった。
「抜群のスタイルだな」
「顔も可愛いよ。モデルかな」
「一緒にいる日本人の子、気の毒になるな」
その時、何がなくシェリーが顔を向けた。
「おっ、こっち見た」
三人が低い声を上げたのと同時に彼女が立ち止まったので、彼らは慌てて凭れていた椅子から背を起こした。
彼女はじっとこちらに顔を向け、軽く会釈をした。駅で会った時のように。ただ、口元に笑みがなかったのは、意外な場所に私がいたからかもしれない。
サングラスをしているので視線がわからず、多田野たちは周りを見回して苦笑いを浮かべていた。シェリーは海岸に向かって歩きながら何度か振り向いた。
「おい、ビーチに行こう」
一人が言い、みんなそそくさと彼女のあとをついていった。今日は岩場で釣りをしようという話になっていたのだが、いつの間にか立ち消えになって砂浜で日光浴に変わっていた。
「写真、撮ろう」
ケータイを取り出した多田野がいやらしく笑った。
「盗撮はまずいぞ」
「大丈夫だよ。ここは人が少ないから。あれは撮る価値ありだよ」
「少ないから目立つんだぞ」
他愛ない彼らの話を聞きながら、初めは一緒に笑っていた私だったが、だんだん不快な気分になってきた。ひそかに抱いてきた『聖なるシェリー』が、いま男たちの淫猥な目に晒されて彼らの頭の中で犯されようとしている。私は嫉妬を感じ始めていた。
白い浜辺にはいくつものパラソルが立ち、思ったより多くの人出があった。それでも一般の海水浴場に比べればゆったりと空間がある。
シェリーは水際で声を上げながら走り回って遊んでいた。
「近すぎると撮りずらい」と多田野が言うので、少し離れてシートを広げた。
(きらめくシェリー……)
弾む乳房は想像を超えた膨らみをもっていた。贅肉のない体が、より突起を目立たせている。いつからここにいるのか、十分な太陽を浴びて、全身、小麦色に日焼けして健康そのものである。
私は自分の変化にはっきり気づいていた。制服を脱ぎ捨てた肢体を眺めているうちに、いつか崇拝の想いが雲散し、彼女の生々しい肉体だけを捉えるようになっていた。揺れる水着を外して乳首を描いた。毎朝、清々しい少女として見つめていたはずなのに、妖しい輝きを感じるようになっていた。
(魅惑的なシェリー…)
シェリーが休憩場所に戻ってきて、クーラーボックスからコーラを取り出して飲んだ。
「なつみ!冷えてるからおいでよ!」
多田野たちは顔を見合わせた。
「日本語ぺらぺらじゃん」
「日系かな。英語じゃなきゃナンパも出来るぜ」
そう言いながらその度胸はなさそうだった。
同じように日焼けした二人の娘も喉を潤し、笑いの絶えない会話がはじまった。
しばらくしてシェリーは私たちに気づき、それからは何度も視線を送ってきた。間違いなく私に向けられたものだと思った。
「意識してるみたいだぞ」
言った友人は自分で緊張した様子だった。私は少し前にシャッターを切った多田野を脅かした。
「盗撮がばれたんじゃないか?誰かを呼びに行くかもしれないぞ」
「気づいてないだろう」
話しているところで彼女たちが立ち上がったものだから、多田野は真顔になった。
歩き出したシェリーの腰が左右にくねって動き、多田野は私に隠れてまたシャッターを切った。浜からホテルへ続く曲がり道で彼女はもう一度私を見た。
その夜、私は一人、バンガローを抜け出してホテルへ向かった。ロビーを使うのは自由だったので、コーヒーでも飲みながら彼女に会えないかと思ったのだ。会ったとしてもどうすることもできないが、あまりに昼間の印象が鮮烈で、じっとしていられなくなったのだった。
近づくとロビーの明かりの中にまだ多くの客が見えた。出口から逆光を受けた黒い影が歩いてくる。近づくうち、女だとわかった。間もなく私が足を止めたのは思わず竦んでしまったからである。
(シェリー!)
彼女はペースを崩さずにまっすぐ歩いてくる。やがて街灯にその顔と長い金髪が映し出され、まるで約束していたように私の目の前にやってきた。
「あたしに会いに来たのね」
「ああ…」
言ったきり、二の句が継げないまま、私は魅入られたように立ち尽くしていた。
シェリーはおもむろに私の手を握ると海に向かって歩き出した。仄かな香水が香り、海風になびいた髪の先が頬に触れた。
浜は真っ暗ではない。いくつかの施設の灯りがぼんやりと波を浮かび上がらせていた。シェリーは灯りの届かない岩場を指差した。
闇に入りこんだ彼女は、さらに岩陰に身を入れると、いきなり私の首に腕をからめて唇を押しあててきた。それも舌が差し込まれる濃厚な口づけである。
驚きながらも体を抱きしめると、口を離して私の手を振りほどいた。
「お酒のんだのね。お酒はきらいよ」
そう言いながらまキスをして、岩を背にして坐った。
「きて…」
伸ばしてきた手に導かれて密着した。
「びっくりしたわ。こんなところで」
「僕も…」
「あたしを好きなんでしょ」
唐突すぎて、答えに詰まっていると、
「わかるわ。毎朝見てるんだもの」
私は混乱していた。この子はどういう子なんだろう。一方的に押しまくられて何が何だかわけがわからない。
「でも、ここにいること、どうしてわかったの?」
「いや、それは…」
私が追いかけてきたと思っているらしい。偶然だったことを説明しようと思ったが、どうでもいいという気になった。黙っていると、彼女は私の肩に頭を預けて小さく息をついた。
「いいわ、それは。でも、あたし、しつこいの嫌いよ。あなたはずっと何も言わなかったから。なんだか可愛くなっちゃって」
私は驚きを通り越して呆然と彼女の顔をのぞきこんだ。
「声をかけられるの?」
「いろいろね。学校や家に来られたら最悪」
「一年生?」
「ふふ、だけど十七」
いたずらっぽく笑って私の手にを絡めた。
一年遅れて入学したと言った。母親は日本人で父は米軍基地に勤める将校だという。
「一緒にいたのは友達?」
「そう。M女のクラスメート」
「このホテル、高級なんだってね」
「そうみたいね。でも、七階のフロアは年間契約してるらしいから。だからいつ来てもあたしには関係ない。軍の専用なの」
「羨ましいな」
「部屋、見てみる?」
「え?」
「明日、あの子たち帰るから」
シェリーは絡めた手を誘導して自分の胸に押し当てた。
(下着を着けていない…)
私は煽られて、やわらかな乳房をつかむと抱きよせて唇を重ねた。
「うう…」
シェリーが呻く。
(この子の胸を揉んでいる!)
夢のようだ。いや、夢にも見たことがない。彼女は聖なる少女だったのだから。
唇が離れると、彼女は喘ぎながら胸を押し出して目を閉じた。Tシャツをめくって乳首に吸いついた。
「あうっ」
のけ反ってから、私は押しとどめられた。
「だめよ。あの子たちが待ってる」
シェリーの手が私の股間に伸びてきた。極限まで漲っている。
「ふふふ…」
その形を指でなぞり、彼女は暗がりの中で笑った。
「じゃ、明日ね。アドレス教えて」
あっさりと立ち上がり、友達が帰ったらメールを送ると言い残してシェリーはホテルに戻っいった。
突然の風が吹き抜けた感じだった。掌に残ったゴムまりのような感触。甘い唾液。肉体の実感、ぬくもり。私はおぼつかない足取りで歩きながら、夜に浮かぶ巨大な建物を見上げていた。
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