もうひとつの夏休み「1」_ハッピーライフ-官能小説(happylives-novel)

牝獣(ひんじゅう)となりて女史哭(な)く牡丹の夜 ——日野草城

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もうひとつの夏休み「1」

15-06-14 10:24

あの夏に限って、僕らはみんながみんな、子どものフリをした大人だった──。

運動会がある秋よりも、クリスマスプレゼントがもらえる冬よりも、学年が一つ上がる春よりも、とにかくダントツで夏が好きだ。

「ボッチさあ、今年の夏休みは何デビューするの?」

健太郎(けんたろう)はクラスでいちばん背が高いというだけで、妖怪の『ダイダラボッチ』からもじった『ボッチ』の愛称で呼ばれている。

「去年はコーヒーのブラック飲んだもんね。そういえばハカセ、半分ぐらいしか飲めなくて泣いてたっけ」

博士(ひろし)は漢字のまんま『ハカセ』で、ついでにメガネをかけている。

「泣くもんか。父ちゃんに叩かれたって泣かなくなったしさ」
と言って痛い過去を思い出しながら、
「マサトはもう決まったか?」
と学年でいちばん成績がいい理人(まさと)に発言権を渡したところで、三人の会話がちょうど一巡した。

「内緒の話だけど、俺、ケータイが欲しい」

「スマホ?」

「スマホ?」

「うん、スマホ」

「マサトはいいじゃん。テストはいつも百点だし」

「俺とボッチは勉強が嫌いだから、きっと買ってもらえないよ」

博士に却下されて、少年国会はふりだしに戻る。

「ちょっとそこの男子。携帯電話は校則で禁止されてるんだよ?」

いい子ぶった調子のセリフを言ってきたのは、学級委員の比留川萌恵(ひるかわもえ)だ。

「女子がカッコつけんな」

「カッコつけんな」

「モエだってほんとはケータイ欲しいんだろ?」

そんな冷やかしにも萌恵はひるまない。

「そんなのまだ要らないです。中学生になったら、お母さんが買ってくれるから」

「いいなあ」

「モエの母ちゃんて、社長してるんだよな?」
と健太郎が言うから、
「ボッチくんもちゃんと勉強したら社長になれるよ」
と健気にアドバイスを返す萌恵。

「社長と学校の先生と、どっちが偉いかな?」

「きっと社長だよ」

「じゃあ、政治家は?」

「今の政治家はぜんぜんダメなんだってさ。うちの父ちゃんが新聞読みながらいつも言ってる」

博士が言ったのを聞いて、優等生の理人があることを思いついた。

「ハカセ、ボッチ、今年の夏休みデビューは『新聞』にしようよ」

みんなが目を丸くした。それからちょっぴり考える顔をして、
「なんかそれ、社長っぽくていい」
と健太郎が賛成した。

「社長はコーヒー飲みながら新聞読んでるイメージだしね」

「うん、うん。みんなで社長になろうよ」

『コーヒー』の次は『新聞』という安直な発想だけで、この案件は無事に可決された。

「あたしも仲間に入っていい?」
と萌恵が寄ってきたので、
「どうする?」
「そうだな」
「いいよ」
とわずか五秒で話はまとまった。
女社長の娘で、しかも学級委員という立場の自分が、ほかの男子に先を越されるのが悔しかったから、どうせならできるだけ難しい新聞にしてみようと萌恵は決めていた。

「先生が来たぞ」

廊下側の席から教室の外を見張っていた一人が、すでに真っ黒に日焼けした顔をこちらに向けて叫んだ。白い歯の何本かが抜けたままになっている。

「鍵盤ハーモニカのドレミだ」
と誰かが笑った。
クラス担任の大橋美希(おおはしみき)は、教室に入るなり黒板を眺めて、にっこりと微笑んだ。

「これは誰が描いたのかな?」

教師の問いかけに生徒は誰も答えない。その代わりに、どの顔にも溢れんばかりの笑顔が用意されていて、彼女は大人なりに胸が躍った。
白いチョークで『夏休み』と書いたまわりに、向日葵や花火や昆虫のイラストが賑やかに描かれている。
自分でもなかなかここまで上手く描けないな、と大橋美希はつくづく感心した。

「それじゃあ、出欠をとります」

教壇に立って、出席簿をひらく。

「榎本(えのもと)健太郎くん」
「はい」
ボッチが元気に返事をする。

「河合(かわい)博士くん」
「はい」
ハカセも負けずに大声を出す。

「根室(ねむろ)理人くん」
「はい」
マサトの右手が高々と挙がる。

そうして女子に移り、
「比留川萌恵さん」
「はい」
とモエが百点満点の返事を披露する。

夏のあいだにしておきたい事がいっぱいありすぎて、終業式なんてやらなくてもいいのに、と小学生なら誰でも思うだろう。
下校しても、まっすぐ家に帰ってやるもんか。お菓子とジュースとゲームがあれば、二学期までは何も要らないや。だから、僕らの夏休みに、大人は入ってこなくていいよ──。
そんなことを考えながら、全員が夏休みの宿題を受け取って、退屈な終業式をなんとか乗り切り、そして下校のチャイムが鳴った。

強い日差しが降り注ぐ校庭に出ると、蝉の声は一層やかましく木という木に纏わりついていた。
校舎から一歩外へ出た時点で、夏休みはもう始まっている。

「よし。プール行こうぜ」

「カブトムシは?」

「俺、サイダー飲みたい」

健太郎と博士と理人が口々にしゃべっていると、
「新聞デビューのこと、ぜったい忘れちゃダメだよ?」
と赤いランドセルを鳴らして萌恵が立ち止まる。

「うん。明日の九時に、図書館の前に集合な」

「クーラーついてるかなあ」

「俺、知ってるよ。今年は節電なんだってさ。だからあんまり涼しくないかも」

「おやつは持ってく?」

「母ちゃんにお弁当作ってもらう」

「おやつは?」

「モエも遅刻するなよ」

「うん。バイバイ」

男子グループと女子グループはそこで別れた。健太郎はまだ何かを呟いている。

「ねえ、おやつ……」

つづき「もうひとつの夏休み「2」」へ


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