この話はつづきです。はじめから読まれる方は「『繁殖熟女』 プロローグ」へ
「静謐と狂乱の狭間で」(絵美子)
1・吊るされた淑女
無音の世界……、完全に遮音された状態というのは実はかなり希少な状況だった。生活音はもとより外界の歩行者や自動車、あるいは鉄道、社会生活において例え深夜とはいえ無音状態は皆無に近い。なのに今、感じる世界に音は存在しなかった。朦朧とする意識の中、彼女は自分の置かれた状況を把握しようと身を捩った。
(こ、ここは……、確か自宅で入浴していたはずなのに……)
目を開けても何も見えなかった、暗闇であり目隠しもされていたからだが。一切の光が存在しない無音の空間に彼女は覚醒に反比例し恐怖が増してきた。全裸なのも最前まで入浴していたのだから当たり前かもしれないが、拘束される理由までは思いつかない。
(どういうことなの……、自宅からどうして)
たくさんの疑問も困惑と恐怖で考えが纏まらない。まさか自分の身に三文小説のような危難が及ぶとは夢にも思わなかった。やっかいなことに手枷で吊るされた状態、念のいったことで猿轡までされており呻き声しか出せない。両脚はご丁寧にそれぞれ開かれたまま何かで繋がれており、大の字の磔に近かった。
(ゆ、誘拐……、まさか)
囚われた女性に思い当たる節は無くも無かった。彼女、菊川絵美子の夫が亡くなったのは最近のことだった。七十五歳なら平均寿命と云えるだろう、実業家の夫に乞われて後妻になったのは六年前のこと。遺産目当てと陰口を叩かれたが彼女自信は夫を愛していたし、夫も彼女を大切にしていた。短かったが幸せな時間を伴に出来たことはなによりだった。
先妻との間にも、又、自分との間にも子供は出来なかったため多額な遺産は彼女の物となった。夫の親族連中は罵詈雑言を浴びせてきたが、法律上請求する資格もなく、指を咥えて見ているしかなかったのだ。
(親族の誰かが……、こんなことして無事で済むと思っているのかしら)
遺産目当ての誘拐騒動と当たりを付けると少しばかり落ち着くことが出来た。悪くとも殺されることはないだろうと考えて。慎重な性格の絵美子は遺産のすべてを自分の死後、福祉団体に寄付するように弁護士に依頼していた。無理矢理、奪おうと最悪殺害したところで別の親族には一銭たりとも渡らないように手は打ってあった。恥ずかしい真似、例えば強姦とかはされるかもしれないが、死の恐怖が薄らいだ分、彼女の頭は平静を保ちつつあった。
(どこの馬鹿かしら……、こんな手段でお金を盗ってどうしようというの)
金銭に執着しない生粋のお嬢さま育ちには誘拐監禁と云う重罪を犯してまで遺産に群がる魂胆が今一つ理解しがたかった。楚々とした大和撫子の外見と異なり肝の据わった女性なのかもしれない。
意識を取り戻してからどれくらい経過したのか……、無音の暗闇は時間の概念を希薄にし、吊るされた肢体は平衡感覚を狂わせていく。自分の呼吸音と鼓動、それに口の端から垂れる唾液だけが確かな触感として彼女の自我を保つ細い糸だった。
(まさかこのまま放置して……、いやよそんなの、生きながら干物にされるなんて)
吊るされたまま干乾びた己の未来図に怖気が走り呻き声を上げて身をくねらす。意味の成さない雑音と拘束している手枷足枷の擦れる軋みだけが耳元に反響する。同じ殺すにしても放置したままの衰弱死なら罪悪感も薄かろう。もし、何かの拍子に自分の遺体が発見されても危ない性癖の結果としか思われないかもしれない。一度脳裏を過ぎった忌わしい悪夢に彼女は泣きそうになってきた。
(私がなにをしたと云うの……、これじゃ生贄じゃない)
人並みの羞恥心はあるが卑劣な犯罪者に裸を見られたところで気に病むほど初心でもない。しかし、このまま時間をかけて死に追い遣られるのは、彼女の胆力でも耐えられるものではなかった。
(お願いだから……、誰か助けて)
基本、人を押し退けてまで何かをしようとは考えたこともない彼女に明確な悪意の放射は辛いものがあった。お金目当てに他人を全裸で吊るす神経がそもそも常機を逸している。唸り声を上げて身じろぐ様は、蜘蛛の巣にかかった蝶のようで、その艶めかしさは垂涎ものだった。
(ああっ、まさかこんなことになるなんて……、私が不在でも誰も通報しないかもしれない……)
最前の理由で夫の親族は充てにならない、それどころか誰かが主犯かもしれない。自分の親族もこれまた疎遠で連絡がつかなくても数年は放置されかねない。人間が死ぬには数年も必要ではない、どんな頑強な者でも一カ月もあれば十分衰弱死出来るだろう。
(い、いやよ、そんな死に方するほど悪人じゃないわよ、お願いだから誰か……)
聖人とまでは言わないが、決して悪人でもなかったはずだ。他人から積極的に怨みを買うような真似をした覚えは無い。遺産相続のゴタゴタを除けば真っ当な生き方をしてきたはずだから。脳裏にはいくつもの記憶と予想が蠢き、再び混乱し始めていた。
(とにかく誰かと交渉しないと……、殺されるくらいなら財産も惜しくはないし、身体目当てなら我慢すれば)
不安と平静の振り子が短時間に間に行ったり来たりして彼女の脳細胞を刺激する。多分、恐怖からきたのかもしれい、何かしら思考していないと最悪の予想に潰されて自我が保てないと本能で悟ったから彼女はいくつも考えに思いを馳せていたのだろう。
(お願い、本当にお願いだから……、誰か助けて……)
◆
手首が痛い……、拘束専用の手枷とは云え長時間、成人女性を吊していれば擦れてくる。全裸のまま宙吊りにされた獲物は力なくされるがままの状態だった。
無音暗闇の世界に監禁された彼女に時間の経過は把握出来なかったが、最初の覚醒から数日が経とうとしているのは間違いなかった。いつか誰かが来るかと待ち構えていたが、期待は裏切られ一切の物音が途絶したまま放置されている。
その間、飲まず食わずの状態で耐えていた。空腹はまだ我慢出来たが、喉の渇きは限界に達しようとしている。肌はかさつき唇はひび割れて唾も出なくなっていた。
摂取がないからといっても生理的欲求には抗えず、絵美子は粗相をしてしまった。足下に拡がる小水の水溜まりは彼女の膀胱から溢れ出た代物である。幼子ならともかく山手の令夫人として慎みを持った彼女にとり失禁をするなど慮外の話しでありとにかく耐えた。助けを乞いトイレに行かせてほしいと願ったが、沈黙は破られるはずもなく、顔を真っ赤にして耐えた結果、派手な音を上げながら尋常ではない多量の尿を撒き散らしてしまった。
膀胱に蓄えられた液体は恥毛を濡らし、太股に被害を及ぼしながら長々と排尿された。自分の人生でおしっこひとつにこれほどの屈辱と疲労を覚えた記憶は皆無だった。放出を終えた時、安堵の溜息と涙が零れ落ちた。
(ううっ、お、おしっこまで漏らすなんて……、いくらなんでもあんまりじゃない)
その後も尿意を覚えるたびに無駄な足掻きをしてみるのだが、事態が好転する兆しはまったくなかった。そんな彼女の恐れている、差し迫った事態は排便の問題である。いまのところ小のみで済んでいるが、いづれ大きいほうをしたくなった時、どうなるのだろうかと……。女として、いや人間として糞便の垂れ流しなど正気を保てなくなる。普段から便秘気味のためその兆候は延びているが、もし便意をもよおしたら人間としてもっとも惨めで恥ずかしい姿を晒す羽目になりかねない。
誘拐犯でも殺人犯でも構わないから、とにかく誰かしら相手をしてもらいたかった。無視されたままでは交渉の余地すらなく本当に干物になってしまう。自分の存在がこのまま社会からフェードアウトする恐怖に全身が震え泣き叫んでしまう。枷のせいで不明瞭ではあるが、確かに助けを願う哀れな女の声がそこには存在した。
(ああっ、誰か……、誰か助け……て……、も、もうダメぇ……、おかしく……なりそう)
グリュ、ギュルゥルルルゥ、グギュゥゥゥ、ギュリュルルルゥッ!
悪いことは必ず訪れるもので、下腹部に鈍痛を感じた瞬間、腸内が蠕動し始め異音が奏でられた。一瞬にして脂汗が額に浮き上がり、尻穴に力を込める。呼吸が徐々に苦しくなってくるが押し寄せる便意は時間の経過とともに大きくなる。物心ついて以来、初めての脱糞の危機に彼女の脳髄は沸騰した。
(あひぃいぃ、うぐうっ、ああっ、く、苦しい……、も、漏れるぅ……、え、絵美子、恥をかいてしまいます)
◆
死体のように脱力したまま惚けたようにぶら下がっている。汚臭にまみれた室内は混沌としていた。結局、二時間に及ぶ攻防の末、無様に敗北した彼女は人生最大の恥辱を甘受することとなった。
必死になって堪えた便意も一度、箍が緩むと関を切ったように肛門の穴を押し広げ臭気を放散しながら次々と垂れ流し、たちまち汚物の山を作り上げた。一通り出終わると最後のほうの排便は尻や太股にこびり付き、不快感と羞恥で号泣してしまった。
(ううっ、ひっくっ、ううっ、な、なんでこんな……、惨めすぎるわ。私が何をしたと云うの……)
誘拐犯に一言怒鳴りつけようかと意気込んでいた過去が懐かしく思える。今はとにかく解放だけを願っていた、この空間から解き放ってくれるのなら足の裏でも舐めていただろう。
時間の感覚を喪失したため克己心が挫けようとしていた。他者に対し反抗する気力も軒並み失われている。あまりにも悪辣な誘拐犯の思惑に憤りを感じる以上に彼女の精神は参っていた。
汚物が乾き始めた頃、彼女の耳に微細な物音が届いた。軋むような音と空調の変化、身にまとわりつく臭気が急速に薄れていく。新たな展開に首をもたげるが、目隠しの彼女にそれ以上認識出来るはずもなく耳を澄まして来訪者の登場だけを願った。
焦燥感に苛まれる中、接近する気配を感じる。ひとりだと思われる人物がゆっくりとこちらに向かって来る。音で判断すれば階段を下りて来るように思える。視覚と言語能力に制限を受けているため聴覚が鋭敏になっていた。祈るような気持ちで自分を陥れた卑劣漢を迎えるのだから不条理な話しではある。
軋む音とともに扉が開かれる、空気の匂いが変化した。それと同時に部屋に灯りが燈される、部屋の電灯をつけたのだろう、目隠し越しに光の温かさを感じた。間違いなく人の存在を確認し彼女は必死に声を上げる。
「うむふっ、ぬふふっ、んむふうっ、ふむぬぬぅ、ぬん、ふぐぅううっ!」
猿轡をしたままではどんなに叫んでも意味の成さない雑音でしかなく来訪者の琴線に触れることもない。身を捩って抗議の意思を示し枷を外してもらおうと努力する。彼女にしてもここでなにかしらの結果を得られないと次に来る保証はどこにも無いから顔を真っ赤にして唸り声を上げ続ける。
ほのかに漂う体臭から男性と思われる来訪者は縛めを解く気は無かったようでそのままなにか作業を始めた。絵美子の耳にしばらくすると水音が聞こえてきた。どうやら洗い流しているようだ、足元に飛沫を感じ己の汚物を見られた羞恥がいまさらながら蘇り赤面してしまう。放水がとりあえず終わるとそのまま彼女の身体に温水が飛んで来る。ノズルを調整したのかシャワー状態の温水で汚れを落とすと、ブラシで擦り始めた。石鹸かボディーソープの類が使用されたのか肌に泡立つ感じがする。尿と便の臭気が失せ、シャボンの芳香が漂ってくる。念入りに洗浄されるとタオルで水滴を拭われ、最後に口元から水分を補給されると再び男は電灯を落とし去って行く。人心地ついて安堵していた、絵美子はなんとかコンタクトを取!
うとなけなしの力を振り絞って訴えるが、無情にも扉の閉まる音だけが耳に届いた……。
つづき「『繁殖熟女』 2・晒される陰部」へ
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