「あのセンターの子、誰?」
折原由紀恵は偶々立ち寄った研修生ライブを
袖から見ながら、後輩の足立未来に訊いた。
「えっ、由紀恵様知らないんですか?
蒼井優香。超新星って話題になってる
事務所期待の新人ですよ」
「そっちじゃない。もう一人の子。
蒼井優香ぐらい私だって知ってるよ。
超新星の方じゃなくって、ほら、もう一人
センターで踊ってるでしょ」
由紀恵は馬鹿にしてるの、と少しイラっとした
表情を浮かべセンター位置の方を指差した。
「ああ、そっちですか。ええ~とっ・・・
何て子だったっけ・・・そう、白戸、うん、
確か白戸早紀って子ですよ・・・
由紀恵様、あの子がどうかしました?」
「ふ~ん、白戸早紀ね・・・」
由紀恵は未来の問い掛けには答えず、
少し微笑んだ。
折原由紀恵はピーチガールズ1期生であり、
超人気メンバーとしてグループを
牽引してきた一人である。
その容貌は、気さくな性格とは逆に
女王様のように美しく、エレガントな
ファッションに身を包むことが多かったため、
ファンからもメンバーからもある意味
親しみを込めて『由紀恵様』と呼ばれていた。
最初の頃は本人もそう呼ばれることを
面白がっているだけだったのが、
『由紀恵様』という呼び名が一人歩きをしだし
いつの間にか由紀恵自身にSキャラが
定着するようになった。
メンバーに無邪気な悪戯をして喜んだり、
面白がって後輩に無茶な命令を言って
困らせたりする姿が度々見られた。
勿論、1期生で超人気メンバーの彼女には
誰も面と向かって逆らえず、でも面倒見の良い
由紀恵に好意と憧れの念を持ちながら
その無茶ぶりに付きあっていた。
その日は会館には研修生しか
いないはずだった。
大型音楽番組で正規メンバーは全員
そちらに出演し、会館では研修生ライブが
行われる予定だったから。
「では、失礼します」
険しい顔の溝口館長に会釈をして、
由紀恵が館長室から出てきた。
偶々そこを走っていた1人の研修生を
見かけた由紀恵はその子を捕まえて訊いた。
「今日、研修生ライブなの?」
「ゆ、由紀恵様?・・・あっ、はい」
研修生は意外な人物に
慌てふためいた様子で答えた。
「じゃあ、白戸早紀って子いる?」
「えっ、早紀ちゃんですか?・・・
はい、いますけど・・・」
「今、何処?楽屋?」
「さあ?でも多分今楽屋には誰もいないと
思います。リハーサルの最中ですから。
早紀ちゃんならさっき橘先生に
立ち位置のチェックされてました」
「そう、ありがとう」
「あの・・・早紀ちゃんに何か用ですか?」
由紀恵はそれには答えずニコッと笑って
楽屋の方へと歩いていった。
不可解そうな顔をする研修生は、
由紀恵とは反対方向に走り去っていった。
「無い!ええ~っ、何処?」
「早紀ちゃん、始まるよ。早く。
皆もう舞台だよ」
ロッカーの前で半着替えの状態で立ち尽くす
早紀を瑠璃子が急かす。
「瑠璃子、無いの。私の見せパンが」
「えっ、1つも?」
早紀は泣きそうになりながら頷いた。
見せパンとは見せてもいいパンティーのことで
ミニスカートでも飛んだり跳ねたり回ったり
出来るように、普通のパンティーの上から
大きめのパンティーを穿くのだ。
「どうしよう」
「もうライブが始まっちゃう。
探してる時間は無いわ。
私も今日は偶々今のこれしか無いし。
・・もしよかったら今日だけセンター代わって
あげてもいいけど・・・
後ろの方だったら誤魔化せられるかも」
「えっ、でも瑠璃子、振りは・・・」
センターはセンターの振付けがあるのだ。
「後ろから見てたから何とかなると思う。
後から事情を話せばきっと橘先生も
わかってくれるはずよ」
(そうか、瑠璃子はずっと後ろから
私を見てたのか・・・
私も以前はそうだったな)
早紀は同級生の瑠璃子の言葉に
改めて気付かされた。
センターの重責。そしてそれ以外の人の想い。
「ううん、大丈夫。私このまま出る」
「⁉・・・」
「センターがこんなことで簡単に
へこたれちゃダメだもん」
(そうだ、あの人だって簡単な気持ちでずっと
センターを守ってきたわけじゃないんだ。
きっと皆の想いを背負って
立っていたんだと思う)
「う、うん。わかった。私も出来ることは
フォローするわ。行こう、早紀ちゃん」
暗闇の舞台、早紀は優香の横に立った。
「遅い!早紀」
「うん、ごめん」
Wセンターの片割れ、優香が前を向いたまま
小声で注意する。
暗闇に目が慣れてきた頃、緞帳が上がる。
うおーっという歓声の中、スポットライトが
二人のセンターを眩しく照らした。
「~♪~~♪」
デュエットのパートが終わると共に
舞台全体が明るくなり、
10名全員の少女達の姿が浮かび上がる。
再び大歓声が巻き起こった。
「優香―っ」
「美々―っ」
「珠ちゃーん」
ファンは各々推しメンの名を叫び応援する。
そんな中、曲がBメロにさしかかろう
とした頃だった。
前の方の観客席がざわつきだしたのだ。
「~♪~♪~♪」
「ええっ、マジか?」
「うそーっ」
そのうち早紀がスピンをしたり
跳ねたりするごとに、前の席を中心に
おおーっと雄叫びが起こるようになった。
メンバーや後ろの方の席の観客も
その異変に気付き始め、早紀に注目が集まる。
レースの入ったピンクの可愛いパンティが
激しく踊るたびに見え隠れするのだ。
早紀は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、
それでも努めて普段と変わらぬ
パフォーマンスを続けた。
(早紀!何で?)
優香もこの事態を心の中で驚くだけで、
どうすることも出来ない。
「やめろーっ」
観客の何処からか野次が飛んだ。
「白戸消えろーっ」
「帰れー」
呼応するように罵声が響く。
他の推しメンのファンが早紀のハプニングを
あざとい行為と判断し、野次りだしたのだ。
もうその他は一切客席からは声が聞こえない。
それでも早紀は歌い続けた。
メンバーもいつしかそのパフォーマンスに
牽かれるように罵声の中踊り続ける。
居ても立っても居られないと事務所側が
ライブに割って入ろうとした瞬間、
「早紀ちゃーん、がんばれええー」
一際大きな声援が鳴り響いた。
それをきっかけに静まり返っていた客席が
早紀の応援に立ち上がった。
「負けるなーっ!早紀ちゃーん」
「早ー紀ちゃん!早ー紀ちゃん!
早ー紀ちゃん!」
アンチの声はいつの間にか鳴りを潜め、
怒濤の早紀コールが響く。
「こ、これは・・・」
中断しようとしていた運営側もこの熱い現象に
目を丸くして驚いていた。
(みんな・・・ありがとう)
早紀は心の中でそう叫びながら、
アイドルになって初めてファンの暖かみを
感じていた。
横では優香がニッコリと優しく
早紀を見つめていた。
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