元母と… 【近親相姦告白】_ハッピーライフ-官能小説(happylives-novel)

牝獣(ひんじゅう)となりて女史哭(な)く牡丹の夜 ——日野草城

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元母と… 【近親相姦告白】

15-06-14 08:30

私が1歳の時に母が亡くなり、私は父の再婚相手に育てられました。しかし、私が中学1年生の時に離婚し、綺麗で優しかった継母はいなくなってしまいました。

私は大好きな継母と密かに連絡を取り続けていました。継母は、この地方の中心都市である隣の県の県庁所在地に暮らしていました。
私は、その都市にある大学に進学し、継母と再会しました。

継母のアパートと約300mのところにアパートを借りましたが、ほぼ毎日夕食を共にし、土日祝日は一緒に過ごしました。母子の関係はすぐに蘇りました。

継母は、私のアパートの合鍵を持っていて、留守中に掃除や洗濯もしてくれました。洗濯物は継母のものと一緒にするため、天気が悪いと私の部屋には継母の下着が干されます。

継母は当時41歳、今の森口博子さんに似た感じで、私は女性として継母が性の対象にもなっていました。

ある日私は、継母が私の部屋のトイレに入っているとも知らず、帰宅後に継母のパンティを見ながらオナニーをしていました。そこに継母が出てきて・・・

「光男ちゃん、あなた・・・」
「か、母さん・・・俺・・・」
継母は私の脈打つペニスをじっと見ていました。そして、私の背後に回ると優しくペニスを扱き、
「本当に立派になって・・・将来のお嫁さんが羨ましいわ・・・」
ドビュッと噴出したスペルマを器用にティッシュで受けてくれました。

私は、継母を押し倒して、
「母さん、好きだ!母さんとしたい!母さん、血が繋がっていないんだから、俺と結婚してくれ!」
そう叫びました。






継母は抵抗しながら、
「ダメよ、ダメ。血は繋がっていなくても、一度親子関係になったことがあるとダメなの!」
と言っていましたが、次第に抵抗が弱くなり、観念したように、
「光男ちゃん、あなた、経験あるの?」
黙っていると、察したように、
「お風呂、入りましょう・・・ね、いい子だから・・・」

最期に継母と入浴したのは10年以上前でした。41歳の継母の裸体はとても若々しく、色白で柔らかく魅力的でした。それは、継母が出産を経験していないからでもありました。

継母とキスをしました。私のファーストキスでした。
ベッドで継母が股間を開いて女性器を見せてくれました。上部が薄紫に縁取られたラビアは小さく、中身は桃色に輝いていました。

継母が父と離婚した時35歳、既に父には若い愛人がて、性生活は何年も無かったそうです。離婚してからも元息子に慕われ続け、再婚出来なかったのでしょう。今思えば41歳とは思えない綺麗なラビアでした。

私は、継母に教えられるままヴァギナを舐め、クリを舌先で刺激しました。継母は蜜を溢れさせながら腰をくねらせて喘いでいました。優しくて綺麗な継母が女へ変化していく様に、ついさっき射精したばかりのペニスが再び脈打ちました。

継母は、私の亀頭を咥えて舌先でカリをなぞりました。痺れるような快感に声が出てしまいました。継母は優しく笑い、私のペニスをゆっくりとヴァギナに導きました。温かく包み込まれた感覚と、大好きな継母と一つになれた感激で、
「母さん好きだ・・・愛してる・・・」
「光男ちゃん・・・私達のしていること分かるでしょう?・・・今日から名前で呼んで・・・」

~当時の継母は、今で言うと森口博子さんの似ていますと申し上げましたので、継母を仮名で博子と呼ぶことにします~

「博子さん・・・ああ~」
まるで私のほうが女の子のように感じてしまいました。やがて訪れた射精感に、
「博子さん、出そうです・・・」
「そのまま出しなさい。大丈夫だから。」

私は博子さんのヴァギナにスペルマを出してしまいました。我に返り、
「妊娠、しないかな・・・」
「妊娠しないから、離婚されたのよ。あの人は、もう一人子供を望んだの。でも・・・」
博子さんは悲しそうな顔をしました。


私は博子さんを心から愛していました。お互いの部屋を行ったり来たり、半分同棲状態でした。

私は、博子さんの女体の神秘に取り付かれていました。柔らかい肌、プクプクのオッパイ、そしてラビアの下に妖しくヌメるヴァギナが私を虜にしました。

かつて父の生ペニスにズコズコ突かれたその場所をその息子の生ペニスで突けば、ブチュブチュと井戸のように蜜が噴き出し、それが摩擦で白く泡立つのです。

間違いなく元母、元息子と性交渉をしているという倒錯の世界の興奮はありました。生物学的には何ら問題がない性交渉も、倫理的には忌避される行為です。

私にはそれ以外にも興奮材料がありました。それは父に対する嫉妬です。博子さんの身体が父の使い古しだと思うと悔しいのです。もっと若い頃の博子さんが父に抱かれて乱れて、父のスペルマを注がれていたのかと思うとたまらないのです。

私のペニスにまとわりつくヒダの擦り方は、博子さんの再三のオーダーにより習得したので、博子さんは毎回乱れて逝きまくります。

「アアアアーアアアー、ア、ア、ア、ア」
かつて私を育ててくれた優しく綺麗な継母が、私のペニスにヴァギナをかき回されて、淫乱な一匹の牝になっていると思うと、興奮が治まりませんでした。

春休みや夏休みは、二人で旅行しました。元は親子として暮らしていたので自然と母子に見えたでしょうが、私達はしっかりと男女の愛で結ばれていました。

普段、アパートでは隣近所に気を遣い声を抑えて励んでいますが、ホテルや旅館では、隣の部屋に聞こえようがお構い無しに夜毎激しく愛し合いましたので、必ず翌日は好奇の目で見られました。

こうして私は大学の4年間、ほぼ毎日博子さんを抱きました。連日私の生ペニスに擦られて、博子さんのラビアはグレーにめくれていました。決して性欲の捌け口にしていたわけではありません。私は博子さんを心から愛していました。

私は大学を卒業したら地元に戻る約束でした。結局一人っ子だった私は家も墓も継がねばなりません。

引越しの前日、汗だくになるまで交わりました。翌朝、荷物を載せたトラックを見送り、私は駅へ向かいました。見送りにきた博子さんは、急に母親の顔になり、
「私のことなんか忘れて、しっかり頑張るのよ。」
「時々くるから、泊めてね。」
「ダメ、もうお仕舞い。私からも卒業して頂戴。いつまでもこんなこと続けちゃダメなの。」

「俺、博子さんが好きだよ。サヨナラなんてやだよ。じゃあ、せめてお母さんでいてよ。」
「今日でサヨナラ。母離れ、子離れ。いい、二度と来ちゃだめよ。元気でね。」
新幹線のドアが閉まりました。涙が溢れました。

社会人になって、実家で父と二人暮らしになりました。
5月のゴールデンウィーク、私は父に、
「大学の後輩達と遊んでくるよ。」
と言って出かけました。

もちろん、博子さんに会いに行ったのでした。2ヶ月と経っていない街並みが何故かもう懐かしく感じました。来るなと言われたのに来ちゃって、怒られるかななんて思いながら、博子さんの部屋のドアの前に立つと、表札に違う名前がありました。念のためにドアを叩いてみました。

「あーあんた。最近見なかったね。お隣さんは3月に越したよ。知らなかったの?」
「どこへ行ったか知りませんか?」
「さあ、知らないねえ。」
博子さんは、勤め先のスーパーマーケットにもいませんでした。私は、呆然と立ち尽くしました。博子さんは、私の行動を読んでいました。
帰りの新幹線で、切なくて、悲しくて、私は泣いてしまいました。


私は27歳の時、22歳の女性と結婚しました。妻は、博子さんがまだ継母だった頃に似た可愛い女性です。妻を初めて見た父は、何ともいえない複雑な表情をしました。
現在私は42歳、二人の娘の父です。前回までのお話は20年前のことです。今度は、今から10年前のお話をします。

当時32歳の私は、学友の結婚式に出席するため大学のあった街へ舞い戻りました。少し懐かしもうと一泊することにしていました。披露宴が終わったのは午後2時、ホテルで着替えて自分の住んでいたアパート付近を散策しました。

自分の居た部屋を眺めて、あれから何人の人が入居したのかなーなんて考えていました。博子さんが住んでいたアパートにも行ってみました。甘い切なさを感じながら、博子さんが住んでいた部屋を見つめていました。

今にも博子さんが出てきそうでした。すると、
「何か御用かしら?」
と声を掛けられました。振り返るとお互い同時に、
「ああっ!」
博子さんでした。10年振りに見た博子さんは54歳、少しやつれたように見えましたが、相変わらず私好みの可愛い面影が残っていました。私は、博子さんの部屋にお邪魔しました。時が止まったように、あの頃と変わりませんでした。

「引っ越したんじゃなかったの?」
「あんたが絶対尋ねてくると思ったから、引っ越した風を装ったのよ。ご近所にも協力してもらったのよ。女一人で生きているんだから、引越しするお金だってそんな簡単に工面できないのよ。勤め先も、目に付かないようにレジから裏方へ変えて貰ったわ。」

胸が締め付けられました。あの頃、学生で親の仕送りで暮らしていた自分にはない生活苦があったのに、私にご飯をご馳走してくれたりした博子さんを思い、思わず泣けてしまいました。

私は博子さんを自分の泊まっているホテルに誘いました。最上階のレストランで夕食をご馳走しました。離れていた間のことをお話しました。
「光男ちゃん、あんた立派になったねえ。そうかい、あんたもお父さんかい・・・」
妻と子供の写真を見て、嬉しそうな顔をしました。

「嫁さん、博子さんに似てるでしょう。」
普段あまり飲まないお酒を飲んだせいか、まだ9時だと言うのに博子さんは酔ってしまって、帰るどころではなくなってしまいました。博子さんをホテルのベッドに寝せて、私はソファーで寝ました。

早々と寝たので、翌朝5時に目が覚めました。シャワーを浴びて浴室から出ると、博子さんがバツの悪そうな顔でベッドに座っていました。
「悪かったねえ。光男ちゃん、椅子に寝たのかい?・・・ちょっと、少しは隠しなさいよ。」
「あ、ごめん。起きてると思わなかったから。博子さんも入ってきなよ。さっぱりするよ。」

博子さんもシャワーを浴びてきました。私は後ろから博子さんに抱き着き、巻いているバスタオルの下から股間に指を這わせました。
「だ、だめよ。よして。あんた、結婚したんだろう。アッ・・・アアッ・・・」

博子さんの膝が崩れていきました。博子さんを抱き上げてベッドに横たえ、股間に舌を這わせました。グレーにめくれた懐かしいラビアを湿らせ、クリにしゃぶりつきました。

「ア、ア、アア・・・」
博子さんは大洪水でした。博子さんは手を伸ばして何かを探していました。体勢をずらして博子さんの手にペニスを触れさせました。博子さんはペニスを握り欲しがりました。

10年振りに博子さんのヴァギナに挿入しました。ブジュジュ!ブジュ!ブジュ!突く度に蜜が噴き出ました。博子さんは、54歳になっても可愛い顔を歪ませ、両手でシーツを握って、
「ア!アア!アーッ!アアアーッ!ア・ア・ア・アー」
と大声で叫ぶと、ブルブル震えて達しそうでしたので、私もペースを上げて博子さんのヴァギナにスペルマを注ぐタイミングを狙いました。博子さんは硬直して逝きました。

「フウグググフー」
解き放たれたスペルマが、博子さんのヴァギナを満たしていきました。
「・・・光男ちゃん、あんたに浮気をさせちまったねえ。それもこんなおばちゃん相手にねえ。」
博子さんは、私に背を向けたまま呟きました。

博子さんと朝食を共にして、駅で別れました。
「これ、俺の携帯電話の番号だよ。何かあったら電話してね。」
「ハイカラなもの持ってるんだね。じゃあ、いざって時に使うお守りだと思って持ってるよ。」
「いつかまた来るよ。引っ越さないでいてね。」
「ああ。元気で暮らすんだよ。」
「博子さんも身体に気をつけてね。」

改札を抜け、エスカレーターに乗る前にもう一度振り向き手を振りました。エスカレーターが上昇して、手を振る博子さんがだんだん見えなくなりました。嬉しさと切なさが交じり合って、やっぱり新幹線の中は感傷的になりました。


この体験談を書こうと思ったきっかけでもある最後の仕上げの文章が上手く書けず、てこずってしまいました。では、10年前から最近までのお話です。

その後私は年に1回、10月の大学の学園祭の時期に博子さんを訪ねました。唯一、大学に戻るために家族に言い訳出来るのが学園祭でした。毎年1回、織姫と彦星のように一晩だけ愛し合いました。

毎年お昼に駅で待ち合わせてデートして、予約したホテルのレストランでディナー、そして夜は1年ぶりに交わるのです。楽しい時間はあっという間に終わり、翌日、切なく別れます。

昨年3月、父が71歳で亡くなりました。昨年10月に博子さんに会った時、伝えました。遠い昔、夫だった男の訃報に、博子さんは涙を流しました。

博子さんは64歳、ここ数年、博子さんとのディナーは和食になっています。泊まるのも温泉旅館になりました。二人で部屋付きの露天風呂に浸かりました。

二つ並べて敷いた布団をくっつけて、裸で抱き合いました。博子さんのラビアの上に生えた陰毛もすっかり白髪になっていました。やや崩れかけた体を捩って私のクンニを楽しんでいました。ここ数年は、私のクンニで一度達します。その後、敏感になったヴァギナでペニスを味わいます。

年齢を考え、激しい交わりは避けるためです。還暦を迎えた頃から激しいピストンはしていません。ゆっくり、グラインドさせるように、年老いた博子さんのヴァギナをカリで擦ります。

「ハアアアー、ハアアー、ハア、ハア、」
42歳の中年ペニスに64歳の老年ヴァギナが反応しました。元母子がこの年になって、まだ交わるのでした。私は、再び絶頂へと駆け上がる博子さんにわざと言ってみました。

「お母さん、お母さん、俺、出そうだよ。お母さんの中に出すよっ!」
「アアァ~、光男ちゃん、逝って、逝って~・・・アゥゥ~・・・」
博子さんのヴァギナからペニスを抜くと、私のスペルマがドローりと流れ出しました。シーツに付かない様に素早くティッシュで処理しました。

「光男ちゃん・・・さっきお母さんって・・・」
「うん、つい・・・」
「光男ちゃん、もう、今年で会うのはやめにしよう。私64歳だよ。もうおばあちゃん。」

「だから、放っておけないんだよ。」
「来年から年金暮らし。男に抱かれて乱れてる年じゃないのよ。身寄りのない年金暮らしの年寄りが生きていける施設を探すよ。あんたは自分の家族を大事にしなさい。」

「わかったよ。もう、博子さんを抱くことはしないよ。その代わり、お母さんに戻ってよ。一緒に暮らそうよ。女房は、昔別れた育ての母がいるって知ってるんだ。俺が一緒に住みたがっていることもね。あ、体の関係があったことは言ってないよ。さすがにね。」

父は、昔亡くなった顔の知らない産みの母と一緒の墓に眠っています。
私は、博子さんを離縁した父がどうしても好きになれず、同居を避けていました。今思えば気の毒なことをしたと思わなくもないのですが、父も察して私達家族に同居を迫ることはありませんでした。その代わり、実家の300m離れたば賃貸マンションに住んでいました。300mは、学生時代の博子さんと私のアパートの離隔を参考にしました。

父の四十九日が終わった頃、私は実家を片付けて、生活の基盤を実家に移す相談を妻としていました。そのとき、別れた育ての継母を呼びたいことを相談していました。優しい妻は、快諾してくれました。

私は昨年末、博子さんを実家に招待しました。
「懐かしいわね。30年ぶりくらいかしら・・・」
子供達は、博子さんを見て、
「おばあちゃん、ママと似てるね~」
と言いました。妻と博子さんが並んで台所に立つと、まるで母娘でした。一見、私が婿養子のように見えました。

正月2日までいた博子さんは、3日から仕事なので帰りましたが、3月いっぱいで仕事を辞め、こちらに来ることになりました。

私は、別れた育ての母親と恋愛し、そして、もう一度母親として迎えることになりました。珍しい体験だと思うし、また、嬉しさのあまり投稿してしまいました。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

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