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第4話『ホワイト・バレンタイン - 約束の日』
エスカレーターに乗り地上に出ると大通りに出る。数メートル先の路地を入ると玲の自宅がある。マフラーの巻かれていない首を竦めたくなるほどの冷気を感じながらスマートフォンのリダイアル操作を行った。
「お電話ありがとうございます。カフェ・パシフィカです」
電話越しに店の混雑する様子が感じられ、電話応対の声もさっきより大きかったが声の主は同じだった。昼間にいたウェイトレスの美鈴だった。微かに聴こえるBGMはクルセイダースだろうか、ジョー・サンプルのソロだろうか特徴的な電子ピアノの旋律に客たちの笑い声が混じっていた。
「こんばんは、先ほどマフラーのことで電話を差し上げた笠野辺です」
「あっ、RKさん」
「仕事の予定が決まりましたので、来週の金曜日にマフラーを引き取りにお邪魔出来そうです」
「来週の金曜日ですね。。。あっ、バレンタインデーですね」
「14日でしたっけ?13日の金曜日かと思ってたけど勘違いですね」
「もしかすると、私のシフトじゃないかも知れません。でもマフラーはすぐお渡し出来るようにしておきますから安心してください」
「色々ありがとう、よろしくお願いします」
「さっきMIさんと電話で話したんですが喜んでましたよ。RKさんとの会話を報告させられました」
「仲がいいんですね」
「最近はお客様というより親戚のお姉さんみたいに感じてます」
「お店賑やかですね。楽しそうな雰囲気が電話越しに伝わってますよ」
「はい、私もアルバイトしていて楽しいです」
「そう言えば、常連のお客さんでバンドをやってる人はいらっしゃる?」
「バンドですか?何人かいらっしゃいますよ。バンドがどうかしたんですか?」
美鈴からは何のための質問なのだろうというトーンが感じられた。
「仕事の繋がりがある人がバンドをやっていて、そのお客さんと知り合いかも知れないってことになって」
「そうなんですか?でも不思議じゃないですよ。同じマフラーを持っている人がいる位ですから。それにBGMにうるさいお客様もいますから」
「それでは、お会い出来ないかも知れませんが来週の金曜日に伺います」
電話を切るタイミングで自宅の玄関に到着した。玲は今の会話がまた報告されるのだろうかと考えていた。そして、伝言を残してくれたMIこと実可子が当日カフェに現れるのではないかと思っていた。
電話を切るとパソコンを立ち上げた。大高との会話で聞いた嶋田のバンド活動で演奏するというヴァン・ヘイレンやジャーニー、TOTOの音源を探すためだった。幾つかの音源からジャーニーのシングルトップ10を紹介するものをクリックした。
ホイール・イン・ザ・スカイから始まるトップ10はテンポの速い楽曲としっとりとしたバラードがブレンドされたもので、懐かしさを感じながらも、ニール・ショーンのギターとスティーブ・ペリーの澄んだ高音の歌声が今でも色褪せずにいた。
来週、大高とともに会議に出席するであろう嶋田の姿が浮かんだ。ハードロックのギタリストにしては短く、ビジネスマンにしては多少長めのヘアスタイルに何故かほくそ笑んでしまった。
前回の訪問から十日が過ぎ、プロジェクトを率いる大高を訪れる。昨夜の天気予報では夕方から雪が舞うだけでなく積もる可能性があるらしく、小春日和だった前回には多少重装備だったダウンジャケットも今回は不可欠な装備に思えた。
東京駅を発車ししばらくは晴れ間が覗いていた空模様が時間の経過とともに変化し始めた。曇り空が小雨混じりになり、到着駅の手前で減速する頃には雪混じり雨から、横殴りの雪に変わっていた。
新幹線ホームから改札口に向かう階段を降りている時に携帯電話が鳴った。大高のプロジェクトチームの小林 由紀からだった。
「笠野辺さん、ガンマ・システムズ小林です」
「小林さん、今改札を出るところです」
「はい、今見えました。今日は雪なので、いつもと違うところに車を停めたのでお迎えにあがりました」
「ありがとう、ぼくも見えました」
改札の前に立つ由紀は軽く手を降るとお辞儀した。
「改めましておはようございます。雪の影響で新幹線が遅れなくて良かったです」
「天気予報が的中ですね。東京では少し晴れ間が覗いてたから予報は外れかなと思ったのですが」
「こちらの予報では夕方から夜に雪が積もり始めるみたいです。今夜はお泊まりと伺ってますが」
「はい、マリオットに泊まる予定です」
改札から駅のコンコースを由紀と会話をしながら歩くとロータリーに停まる大高の車が見えた。
「笠野辺さん、おはようございます。大高は会議に招集されましてランチから合流させていただくことに」
玲と由紀の姿を捉えた嶋田が運転席から降り、後部座席のドアを開いてくれた。
「相変わらず忙しい方ですね」
「そうなんですよね、何でも自分でやりたいタイプの人だから、少しは任せてくれればと思う時がありますよ。どうぞ、由紀ちゃんも後ろに乗って」
「じゃあお願いします」
玲と由紀を乗せた大高の車は嶋田のスムーなハンドルさばきでロータリーから雪が舞う大通りに出た。交通量の多い大通りの路面は濡れているだけだが、中央分離帯の芝生にうっすらと雪が積もり始めていた。
「嶋田さん、夕方から積もると天気予報で言ってたけど、どうですかね?」
「このままの降りだとノーマルタイヤの車は走らない方がいいかも知れませんね。この車は大丈夫ですよ、スタッドレス履いてるし四輪駆動です」
「心配してませんよ、嶋田さんの運転を見てると雪道慣れてるでしょ?」
「解ります?実は北海道出身なんですよ」
「そうですか、なら安心だ。さっきより雪の粒が大きくなってませんか?小林さん、ホワイト・バレンタインなんてロマンティックですね」
「素敵な相手の方がいらっしゃればロマンティックかも知れませんね」
由紀は少し微笑みながら同意した。以前、大高から由紀がフリーであることを思い出した。才色兼備で由紀に好意を持つ男子社員も多いが、由紀の理想が高過ぎると言っていた。
「由紀ちゃん、今夜フリーなら立候補するけど」
嶋田が赤信号を利用して振り返って言った。
「残念ながら予定はありますよ。大高さんにはお願いしましたけど、笠野辺さんがおっしゃってたカフェにご一緒させていただくんです」
大高が『カフェ・パシフィカ』に興味を抱き、一緒に行くことは聞いていたものの由紀が一緒に来るとは意外だった。まして、今夜はバレンタインデーであるから当然予定があるものと思っていた。中年の男ふたりとバレンタインを過ごす位だから由紀がフリーというのは真実なのだろうと玲は考えていた。
「小林さんも一緒なら楽しいでしょうね。きっとお気に入りのカフェになると思います」
「私も楽しみにしてました。笠野辺さんの代わりにマフラーを引き取りに行って宅急便でお送りすることも考えたんですが、今日いらっしゃるのでご一緒したいと」
「そう言えば、嶋田さんは今でもバンドをやってるんですか?」
玲は数年前のサマフェスのことを思い出していた。骨折したメンバーの代理でギターを弾いたこと、そのバンドのメンバーが『カフェ・パシフィカ』の関係者かも知れないことを聞いてみたかった。
「仕事が忙しくなったので以前ほどアクティブではありませんが、年二回はコンサートに出てますよ。今年のサマフェスも声が掛かってますから」
「ご自分のハードロックのバンドですか?それとも、フュージョン系の方?」
「ヴォーカルの英語の先生が去年アメリカに帰ってしまったのでメンバー募集中なんですが、自分のバンドの予定です」
「嶋田さん、ご自分で歌えばいいじゃないですか?」
笑いを圧し殺したような声で由紀が聞いたのは、嶋田をからかっているのだろうと玲は気付いた。
「おれのカラオケ聴いたことあるだろ?無理に決まってんじゃん」
「笠野辺さん、嶋田さんってギターはプロ並みらしいんですが、歌は。。。」
由紀は最後まで言い切ることもなく嶋田のカラオケの歌で思い出し笑いをしてしまった。
「さあ、着きました。少し早いですが混む前にお昼を済ませてしまいましょう。大高も来ていると思います」
通りに面した駐車場の看板を見ると有名なうどんの店だった。
「今日は寒いから温かいものがいいだろうと大高のアイディアです。笠野辺さん、うどんはお好きですか?」
雪は本降りになっていたが駐車場には相当数の車が停まっており、まだ正午までは三十分あるのに、さすが人気店だと玲は思った。以前、別のクライアントと来た時には座席待ちの行列に諦めた
ことがあった。
案内された六人掛のテーブル席には大高がおり、三人に気付くと手を挙げた。
「笠野辺さん、生憎の天気になってしまいましたね」
「雪のバレンタインなんてロマンティックでいいじゃないですか。可愛い女性が一緒だと尚更」
「おっしゃる通りですね。ここまで降るのは珍しいですからね。さっきタクシーの中で聴いたニュースでは交通機関にも影響が出るかも知れないと。今日はお泊まりですよね?」
「はい、でも明日の方がダイヤが乱れるかも知れないですね」
着席し僅かな時間で料理が運ばれて来た。大高の段取りの良さによるものだろう。仕事でも遊びでも見られる大高のスタイルだった。
「身体が芯から温まりますね。今日みたいな天気には最高ですね」
玲は大高の選択に感謝の気持ちを込めて言った。
「真夏に汗だくになって食べるのも悪くないですよ。それに、今夜は雪でもフローズンダイキリを飲む気満々ですから」
「おっしゃる通りですね、大高さん。雪景色が最も似合わない場所でしょうね」
大高も玲も、そして由紀すらも『カフェ・パシフィカ』に行くことを楽しみにしていた。
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