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第3話『Sudden Samba』
新幹線ホームから改札口に向かう階段を降りた通路で電話を終えた笠野辺 玲は、自らの予想が当たっていたことに満足するとともに笑いが込み上げそうだった。そして、早速次の会議のアポを取らなければと考え、新たな連絡先の電話番号を表示させた。
「はい、グローバル営業推進部です」
電話の相手は二日間に渡り訪問し、数時間前にイタリアンレストランで昼食を共にした大高のグループに所属するアシスタントの小林 由紀だと声で解った。
会社名を言わずに部署名を言ってしまったのは内線電話と勘違いしているのだろう。いつも冷静できっちりと仕事をこなす印象を持つ由紀には珍しいミスだと思った。無くしたお気に入りのマフラーの在りかを早々に見つけて浮き浮きした気持ちは玲に悪戯心を芽生えさせ由紀をからかいたくなってしまった。
「私、シアトルマリナーズのカスタマーリレーションズの者ですが、大高さんはいらっしゃいますか?」
クスッという笑い声は、自らが内線電話と勘違いしたことに気付いからか、あるいは聞き覚えのある声の主が誰かを悟ったからか玲には判断が出来なかった。
「申し訳ございません、大高は別の電話に出ておりますので伝言をお預りいたします」
「そうですか。実はマリナーズの開幕戦を日本で行うのですが、大高さんに招待券が当たりました。無料で招待いたしますが、登録に費用が掛かりまして。。。」
笑いを堪え冷静な声で説明する玲に対し、由紀は時折小さな笑い声を漏らしていた。
「登録費用は振り込みですか?それともバイク便がお金を取りに来るパターンですか?」
半分笑いながらも冷静に対応するのは頭の回転が速い由紀ならではと感心しながら会話を続けた。
「来週の金曜日に私自身が伺います。大高さんのスケジュールは空いてますか?」
「来週の金曜日ですね?午後からであれば問題ございません。今、大高の電話が終わりましたのでお繋ぎします。あっ笠野辺さん、登録費用はおいくらですか?」
「小林さん、バレてた?」
「声で解りますよ。新種のおれおれ詐偽には騙された振りをするのが犯人逮捕に繋がりますから。。登録費用は百万円と伝えておきますから二人で山分けしましょう。お待ちください」
玲からの電話であると聞かされたものの会話の一部で『おれおれ詐偽』と言う聞き取っていた大高は電話に出るとおもむろに尋ねた。
「大高です。小林が何か失礼なこと言ってませんでしたか?」
「いえいえ、ぼくのくだらないジョークに付き合ってくれてただけですよ。それに大高さんを、おれおれ詐偽から救ってくれたんですよ、詳しくは後で確認してみてください」
玲がマフラーの経緯をかいつまんで話し、来週金曜日のアポを依頼すると大高は『カフェ・パシフィカ』に大きな興味を抱いた様子だった。
「新しい店かな?あの界隈は詳しい積もりなんですが知らなかったなぁ。アポの件、了解です、お待ちしてます。駅まで迎えに行きますので昼飯をご一緒させてください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
電話を切ると、玲は新幹線の改札口を抜けてメトロへの改札口に向かい、大高は由紀に『おれおれ詐偽騒動の顛末』を尋ねた。
同じころ伊原 実可子は吉川 美鈴からマフラーの持ち主との電話での会話内容の報告を受けていた。
「マフラーの件でしょ?どうだった?いつ取りに来るって?」
「お気に入りのマフラーだったから見つかって嬉しいって言ってました。多分、新幹線に乗る直前に立ち寄ったのがここだったから、想像はしてたみたいですけど」
「新幹線?やっぱり地元の人じゃなかったのね。じゃあ送ってあげることにしたの?」
「取りに行きますって、多分二-三週間後にと言ってました」
「そうかぁ、どんな人か見てみたいなぁ、うっかりRKさん」
「うっかりRKさんも、せっかちMIさんに興味あるみたいですよ。色違いのマフラーを二本持ってて、三本目まで狙ってる人がいるって言ったから」
「ちょっと美鈴ちゃん。何を話しちゃったの」
「冗談ですよ、でも実可子さんの伝言は伝えました。偶然の一致に驚いてました。それに素敵な伝言ありがとうって」
「美鈴ちゃん、割りと根性据わってるわよね。マスターや常連さんたちに鍛えられたかしら」
「一番鍛えられたのは実可子さんですぅ。なんか会話に引き込まれた感覚があるんですよね」
「どういうこと?」
「言葉遣いはすごく丁寧だけど、親しみやすそうって言えばいいかな?男の人と話してるの苦手意識を感じませんでした」
「もしかしておねえだったりして?」
「あっそうか、だからか。。。」
「やだぁ、おねえっぽいの?」
「冗談ですよ、いつも私をからかう実可子さんをからかってみたくなったんですよ」
「驚かせないでよ、美鈴ちゃん。半分本気にしちゃったわ」
「実可子さん、なんかマジになってません?気になってるんですか?」
「わからない。でも、同じマフラーって偶然が。。。感性が似てるのかなって。気になってるのは確かね、私、好奇心強いし」
「大丈夫ですよ、二-三週間後に来てくれますよ」
電話での会話を終えると美鈴の休憩時間は残り僅かとなっていた。このカフェの一番忙しい時間帯が始まる前に、賄いとして用意されたサンドウィッチを食べることにした。一方の実可子はクライアントから渡された会社概要のパンフレットと会議資料に目を通すことにした。外国からのビジターとの会議をアシストするのが明日の業務だからだ。
メトロを二路線乗り継ぐと最寄り駅に到着した。改札口から南に一番遠い出口から自宅までは百メートルにも満たない。どしゃ降りでない限り雨に降られてもそれほど濡れずにすむ距離だ。玲が傘を持ち歩かない習慣になったのは、この利便性のせいだった。
改札口からの通路を歩いている時にメールを着信した。メトロに乗る前に電話をした相手、大高からでメールのタイトルは『カフェ・パシフィカ』だった。
『大高です。小林は知らなかったのですが、嶋田が店の関係者と知り合いかも知れません。詳細は電話で説明します。都合の良い時に携帯に電話ください。』
メールを読み終えると、すぐに大高の番号を表示しコールボタンを押した。少しのタイムラグの後、呼び出し音が鳴り始めた。
玲にとって大高の尊敬するところは興味を持ったことは仕事のオンオフに関わらずすぐにリサーチをする行動力とデータ収集能力に長けていることだった。その大高がわざわざメールまで送って来るのだから玲の期待は膨らんだ。
「大高さん、笠野辺です。メールを頂戴しました」
「すみません、お呼びだししてしまったようで」
「いえ、こちらこそ、なんか大高さんまで巻き込んでしまったようで恐縮です」
「先ほどの話を聞いて、ぼくも『カフェ・パシフィカ』が気になり出してしまって」
そう言うと大高はインターネットで検索したこと、そして検索結果は東京でパンケーキを売りにする同じ名前の店があったことなどを説明すると核心である部下の嶋田との会話内容を語り始めた。
「『カフェ・パシフィカ』って聞いたことない?」
大高は由紀と嶋田ふたりに向かって尋ねた。
「名前はハッキリと覚えてませんが、テレビで見たパンケーキ屋さんかな?東京ですか?」
由紀の答はさっきインターネット検索で引っ掛かったカフェのようだった。
「そのタイトルの曲がありますよ、何年か前のサマフェスで演奏しました」
「嶋田さん、サマフェスって何ですか?」
嶋田が答える前に、大高が由紀に説明を始めた。
「商店街の夏祭りで盆踊りが始まる前に野外コンサートやるところがあるだろ?嶋田は、この辺のアマチュアバンドの間では有名なギタリストなんだよ。楽譜は読めないけど、耳からのコピーが凄いし早弾きのテクニックも」
「へぇ、カッコいいですね。伝説のギタリストなんて。てっきり吹奏楽部とかコーラス部をやってるんだと思ってました」
嶋田から仕事の後でリハーサルがあると何度も聞いたことがある由紀は何の根拠もなくそう思い込んでいた。
「どんな曲を演奏するんです?」
「ジャンルで言うと八十年代、九十年代のアメリカのハードロック。ヴァン・ヘイレン、ジャーニー、TOTOとかのコピーバンドだけど、英会話の先生にヴォーカルやってもらってたからレベルは高かったよ」
「確かに、他のバンドに較べると抜きん出てたよな」
何年か前に中学生の子供を連れて嶋田のバンドを観に行ったことのある大高が説明を補足した。
「カフェ・パシフィカってハードロックの曲のタイトルにしてはインパクトが無くないか?」
「この曲は自分のバンドではなくて応援で参加したグループでの演奏でした」
「応援?」
「応援ですか?」
大高と由紀は同時に反応したことにお互いの顔を見合わせた。
「同じサマフェスに出る方がバイクで転けてギターのネックにひびが入ったんですが、ひびはギターだけじゃなく指の骨にも。サマフェスの前の週の打ち合わせに来る途中ですよ」
「それで代理出演か」
「大変でした、ぶっつけ本番に近かったです。五組出たんですが最初と最後の二回出ました」
「ぶっつけ本番に近くてこなすんだから、さすが伝説のギタリストだな」
「オリジナルのギタリストより上手いって言われました。結局、その人はパーカッションで参加、演奏したのがフュージョンというかラテンやサンバのテイストも入ったジャズだからちょうど良かったですね」
「ハードロックからジャズまでジャンルは問わずか」
「各組三曲という決まりで演奏したんですが、二曲はアップテンポな乗れる曲でギターソロはアドリブで好きに弾いていいって言われたのでした。『Sudden Samba』という曲はオリジナルのギターソロも結構ハードで違和感無かったけど、『Cafe Pacifica』はスローなし曲だから難しかったですよ」
「『Sudden Samba』はおれも知ってる曲だよ、でもハードロックからまさに突然サンバだな。でも『Cafe Pacifica』は聴いたことないなぁ」
「大高さん、両方ともニール・ラーセンですよ」
「大高さん、ありましたよ。聴いてみますか?」
ふたりの会話を興味深そうに聞いていた由紀はタブレットを嶋田に向けて差し出した。大高にはYouTubeのロゴの下にアルバムジャケットが見えた。
「由紀ちゃん、完全に大高さんのDNA引き継いでるなぁ」
タブレットを受け取った嶋田は由紀の行動力や好奇心、リサーチ力に大高の影響力を受けていることを常々感じていた。
「そうそう、この曲。懐かしいなぁ」
実際にサマフェスで演奏した曲を嶋田は懐かしそうに聴き、初めて聴いた大高と由紀は新鮮な気持ちで聴いていた。特に大高は、町内会の盆踊り大会の前座とも言えるアマチュアバンドの演奏とは言え、夏の夕暮れにはぴったりなメロディだと感じていた。
「大高さん、いいチームですね。嶋田さんがハードロックと言うのは意外でしたけど」
大高と彼のスタッフである嶋田と由紀の会話を聞き終えると、玲は思わずそう言ってしまった。
「そうですね。いいスタッフに助けられながらプロジェクトを進めてます。嶋田はギターは最高に上手いけどカラオケは酷いですよ、音楽的な才能はあるはずなんですが」
「それは意外ですね。カフェ・パシフィカに入ったのは『Cafe Pacifica』という曲を知ってたからなんですよ。店のBGMをフュージョンというかスムーズジャズというかリラックスできる曲が流れてました」
「嶋田が面白いことを言ってました、ここからが核心です。骨折して嶋田に応援を頼んだ人が知り合いが近々カフェを始めると言ってたらしいんですよ。二-三年前の話だからとっくにオープンしたはずです、行ったことないらしいですけど」
「それが『カフェ・パシフィカ』かも知れないということですか?」
「はい。百パーセント確実ではありませんが」
「それにしても、いろんな偶然が楽しいですね。嶋田さんの知り合いだといいなぁありがとう、とても素敵な伝言を預かってくれて。それにしても、こんな偶然があるのは驚きました」
「そうですね。マフラーの話も驚きでしたし、いくつか偶然が重なり合うのが不思議です」
「大高さん、色々ありがとうございます。皆さんと一緒にプロジェクトを進めるのが余計楽しくなりました」
「同じくです。それでは来週の金曜日に」
お礼を述べると電話を切り、改札口からの通路を右に曲がり地上へのエスカレーターに乗った。地上に出るとマフラーの巻かれていない首回りに二月初旬の冷気を感じた。
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