Incomplete Beginnings - 未完の始まり2_ハッピーライフ-官能小説(happylives-novel)

牝獣(ひんじゅう)となりて女史哭(な)く牡丹の夜 ——日野草城

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Incomplete Beginnings - 未完の始まり2

15-06-14 09:30

この話はつづきです。はじめから読まれる方は「Incomplete Beginnings - 未完の始まり」へ

第2話『コインシデンス-偶然の一致』

  ソファ席に腰掛けようと視線を落とした瞬間に目に飛び込んだのは円筒に丸められたマフラーだった。


  伊原 実可子は実質スタッフが五人という小規模な女性専門の人材派遣会社に勤務し、スタッフとして人材派遣に登録する女性との面接や業務説明のオリエンテーションのためにクライアントとなる派遣先への同行をメインの業務としている。小規模な人材派遣会社であることから業務が細分化されている訳ではなく何でもこなすことが要求され、自らが通訳として派遣されることもある。

  この日は、海外からのビジターを迎えるというクライアントと通訳として事前の打ち合わせを行い、オフィスに戻る途中にお気に入りのカフェ『カフェ・パシフィカ』に立ち寄ったところだった。
  
  オフィスから二番目に近いカフェとしてリラックスしたい時や仕事のプレッシャーから逃げ出したいと感じる時に利用し、一番近いカフェは自らのオフィスのはす向かいにある全国にフランチャイズを持つ店舗であり、クライアントや登録スタッフとの打ち合わせに利用するのが習慣になっていた。

「あぁ、もう喉からから。アップルティー・ソーダお願い」

  実可子はカフェの扉を開くやいなや明るく響く声をカフェの店内に響かせた。それはBGMで流れるジェフ・ローバー・フュージョンの女性ボーカルの歌声を想わせるような魅力的な声だった。

「実可子さん、もうせっかちなんだから」

  ウェイトレスの吉川 美鈴が微笑みながら注文を受け付けた。

「だって脱水症状を起こしそうな位、喉が渇いてるの」

「もう大袈裟ね」

  全国にフランチャイズ展開するカフェでは決して聞くことがないであろう客と店員のオーダーのやり取りを、カウンター席に並んで腰掛けている初老のカップルが微笑ましそうに聞いていた。

  言葉を交わしたことは無いが、何度か見掛けたことのあるこのカップルに実可子は軽く会釈し奥のソファ席に向かった。

『あら、忘れ物かしら』

ソファ席の横に落ちたマフラーを拾い上げると不思議な感覚を覚えた。薄く紫を帯びたネイビーブルーに白い幾何学模様を散りばめたマフラーのデザインを見て微笑んでしまった。

『私のマフラーと色違いだわ』

  デザインに一目惚れし、二本衝動買いしたマフラーの色違いだった。実可子のマフラーは薄く紫を帯びたピンクのものと、黄色がかったオレンジのものだった。

『Columbia』

  マフラーの黒いタグには白文字でブランドの名が記されているのを見付けた時に、注文した飲み物が運ばれた。

「アップルティー・ソーダお待たせしました」

  喉が渇いていると訴えた実可子のためだろうか、ウェイトレスの美鈴は普段より一回り大きなグラスを運んで来た。

「美鈴ちゃん、私の前にここにいたお客さんってどんな人だった?」

「えっ、どうして?」

「ほら、忘れ物」

そう言うと、実可子は広げたマフラーを美鈴に向かって掲げた。

「テーブルを片付けた時に気付かなかったなぁ。直ぐに気付けば渡せたのに」
 
  お客様に申し訳ないことをしたと言う感情に包まれたような声のトーンだった。

「仕方ないよ、ソファの横に落ちてたから。そこからじゃ、アームの陰になるから見えないと思うよ」

  美鈴の感情を汲み取ったように実可子も神妙な表情をした。その表情を見せたのもほんの一瞬で、目には悪戯を隠した少女のような、好奇心に満ち溢れた表現を湛えていた。

「ねえ見て。この柄のパターン見覚えない?」

「もしかして、実可子さんのマフラーの色違い?」

「そうなの、同じブランドよ」

「なんかすごい偶然の一致」

「で、どんな人だったの?男の人?かっこよかった?」

  好奇心を抑えきれない実可子は矢継ぎ早に質問を投げ掛けた。

「実可子さんせっかちなんだからぁ」

  美鈴は子供のようにはしゃぐ実可子が可笑しかった。そして、こんな偶然の一致が自分に起きたら、同じようにはしゃぐだろうと納得していた。

「ひとりで来た男の人、初めていらした方よ。いくつくらいかな?ちょっと年齢不詳。スーツを着たリーマンではないけど、ジャケットにネクタイはしてた。ちょっとお洒落な印象は受けたかな」

「そうよね、このマフラーを持ってるんだから、きっとお洒落よね。この辺の人かしら?」

「キャスター付きの、ハンドルが伸びるバッグを持ってたから泊まりで来てたんだと思う。あぁん、マフラー返せないかな?」

  探偵のように推理を働かせながマフラーを忘れた人物像を実可子に説明しながらも、その推理により美鈴には心配事が芽生えてしまった。

「大丈夫よ美鈴ちゃん。明日、ひょっこり来るかも知れないし、連絡が来たら宅急便で送ってあげればいいし」

  『ひょっこり来る』と言う言葉に反応したかのように美鈴はあることに気付いた。『落書きノート』のことだった。

「そう言えば、お店の落書きノートに何か書いてくれてるかも」

  そう言いながらマガジンラックの落書きノートに手を伸ばし始めた時に、カウンター席の初のカップルのご婦人から美鈴を呼ぶ声が掛かった。

「美鈴さん、そろそろ帰るわ。お会計をお願い」

「はい、ただいま」

  美鈴はそう応えると、改めてマガジンラックに手を伸ばし落書きノートを手にした。

「実可子さん、はいこれ。ちょっと確認してみてください」

  落書きノートを手渡すと、急いでカウンター席に向かった。

『どれどれ』

  心の中で呟くと、実可子はノートを後ろか捲っていった。リングノートを三分の一程捲ると空白のページが終わった。見開きの左ページの上から青いインクの文字が踊り初めていた。

「こいつ雑っ!」

  文字を目にした瞬間に実可子は声に出して第一印象を言ってしまった。ノートの罫線の存在など意図せずに、お世辞にも綺麗と言えない大き目の文字が与えて印象だった。

『なんかマフラーを忘れたのも頷ける、ちょっと、いやかなりおっちょこちょい?』

  心の中の呟きは、その言葉とは裏腹に決して悪い印象ではなかった。几帳面で繊細な文字が並ぶより、男らしくていいかも知れないとも感じていた。

『素敵なインテリアに包まれ心地良い時間を過ごすことが出来ました。次はフローズンダイキリを。。。RK』

  マフラーを忘れたうっかり者の書き込みを読み終えたのと同時に美鈴が会計を済ませて戻って来ていた。初老のカップルが帰った今、カフェの客は実可子だけで、夕方、仕事を終えた客が来店し始めるまでの間の束の間の静かな時間帯になる。

「実可子さん、何か解りました?」

「美鈴ちゃん、心配しなくて大丈夫、この人また絶対に来ると思う。あっ、立ってないで座ったら?私だけでしょ?」

  実可子に渡されたノートを手にした美鈴は青いインクの書き込みを読むとクスッと笑ってしまった。

「そうそう、気分的にはフローズンダイキリだけど。。。アイスアメリカーナって言ってた」

  「ちょっと、気障じゃない?でも、絶対に来そうよね、マフラー忘れた場所がここと解れば」

  「そうですよね。電話でもあるといいけど」

  「ねえ、なんて書くの書き込みコメントへのコメント返し?」

  「なんて書けばいいかなぁ。。。マフラー預かってるから取りに来てってかなぁ」

  「今回は、私が書いてもいいかしら?ちょっと、面白いこと思い付いちゃった」

  「じゃあ、お願いします。私は夕方の準備しますから戻りますね、ごゆっくり」

  美鈴がソファ席から立ち上がりカウンターは戻ると、実可子はマガジンラックからサインペンのセットを取る二本を抜き取った。薄く紫を帯びたピンクのものと、黄色がかったオレンジのもの、実可子が持つ色違いのマフラーに近い色のサインペンだった。

『RK様、ご来店ありがとうございました。お忘れになったマフラーは当店で責任持ってお預かりします。冬が終わってしまう前に、取りに来てくださいね。常連客のMIより。PS 実は同じデザインで色違いのマフラーを二本持っています。この色とこの色です。早く取りに来ないと三本目のコレクションにしてしまいますよ!?』

  実可子は丁寧な文字でマフラーの持ち主にメッセージを書き込んだ。そして、二本のサインペンで自らの二本のマフラーの色を表した。本当に来るのか来ないのかも解らない相手、もしかしたらマフラーの持ち主ではないかも知れない相手にメッセージを残す。インターネットの時代に敢えて手書きで言葉を綴ることに暖かい気持ちになっていた。

  氷が溶けかかり炭酸の刺激が弱まってしまったアップルティー・ソーダを飲み干すと、落書きノートを手にカウンターに向かった。

「美鈴ちゃん、ノート書いといたよ。うっかりRKさんから電話があったら読んで聞かせてあげて」

「うっかりRKさん?そんなこと言えませんよ。でもフローズンダイキリを飲みに来てくださいって言っておきます」 

「そう、その調子。ユーモアのセンスは必要よ」

  美鈴に優しい笑顔を見せると実可子はオフィスに戻ると帰って行った。

  実可子と入れ替わるようにカフェに頻繁に訪れるOLの三人組が来た。ほとんど同時にカフェのオーナーである渡辺 佳宏が買い物から戻って来た。常連客から『なべさん』と呼ばれているオーナーはカウンターと厨房を忙しく行き来しカクテルや簡単な料理を作る。料理を担当するのは『なばさん』の愛称で呼ばれる稲葉 孝だ。

  カフェが混み始める少し前に店の電話が鳴った。テーブルの予約だろうと考え電話を取った。

「お電話ありがとうございます、カフェ・パシフィカでございます」

「ちょっとお訊ねしたいのですが。。。」

  美鈴は電話の相手が誰であるかすぐに理解した。

「あっ、マフラーをお忘れになった。。。」 

「そうです、やっぱりそちらでした。説明の手間が省けましたね。今日はありがとうございました。素敵なカフェで楽しめました」

「責任を持ってお預かりしますので安心してくださいRKさん。いつフローズンダイキリを飲みに来てくださいますか?」

「ノート読まれたんですね、笠野辺と申します。実は住まいが東京なんです。新幹線に乗った瞬間に気付いても新横浜まで止まらないし」

「私がもう少し早く気付けば。。。すみませんでした。宅急便で送りましょうか?」

「いや、うっかり忘れたぼくの責任ですから気にしないでください。近い内にまた仕事で行きますから、その時に取りに行きます。フローズンダイキリも飲みたいし」

「是非ともお待ちしてます。私がいない時でも解るようにしておきますが、念のためためいらっしゃる前に電話を頂けますか?」

  コミュニケーションにメールやラインに頼ることが増えたせいか、美鈴は電話があまり得意ではなかった。そのためか自分自身がスムーズに話をしていることに少なからず驚いていた。事前に電話をと頼んだのは同じデザインで色違いのマフラーの持ち主に興味津々の実可子のために思い付いたことだったのかも知れない美鈴はそう考えていた。

「解りました。多分、二~三週間後だと思います」

「よろしくお願いいたします。あっ、伝言を預かってるんですが」

「えっ?伝言ですか?」

「はい、ノートの書き込みを読まれた常連のお客様なんですけど」

「へぇ、おもしろいな。アットホームなお店なんですね。じゃあ、伝言を聞かせてください」

  美鈴は落書きノートを開き実可子の書いた『RK様』で始める伝言を読み始めた。『冬が終わってしまう前に』の部分では笑い声が漏れ聞こえ、『同じデザインで色違のマフラーを二本持っています。この色とこ』では驚きの声が聞こえた。そして、『三本目のコレクションに』の締め括りには大きな笑い声が続いていた。

「ありがとう、とても素敵な伝言を預かってくれて。それにしても、こんな偶然があるのは驚きました」

  お礼を述べるマフラーの持ち主の電話口からは時折、発車のベルや到着を知らせるアナウンスが漏れ聞こえていた。そして、マフラーの持ち主には微かにニール・ラーセンの『Sudden Samba』が聞こえていた。

  予約の電話にしては長く、美鈴が何らかのトラブルに巻き込まれていないか心配したオーナーの渡辺の表情に、美鈴は受話器を持ったまま落書きノートを差し出した。ノートの文字を追い掛けた渡辺は即座に電話の相手を理解したのか、二度程頷くとカウンターに中に戻って行った。
  
  数時間前に来店し自らが接客した客と、このような電話をしているのが美鈴には新鮮であった。それ以上に、苦手なはずの電話での会話を自然にこなしている自分自身に驚いていた。きっと実可子のユーモアのセンスに溢れた伝言のお陰だと思った。

  「ではフローズンダイキリを飲みに来ていただくのを楽しめにお待ちしております」

  美鈴が本心からの言葉を述べると、それに応えるようにマフラーの持ち主が同じように本心からの言葉を伝えた。

  「ありがとう、またお邪魔するのを楽しみにしてます。MIさんに伝言のお礼を伝えてください。それでは」

  美鈴は受話器を置くと、カウンターの端に置いてあるバスケットから自身のスマートフォンを取り出した。登録している実可子の携帯電話の番号が現れるまで画面を操作するとコールボタンを押した。呼び出し音が鳴り始めた時に実可子の第一声を予想してみた。
『マフラーの件でしょ?どうだった、どうだった?』が美鈴の予想だった。呼び出し音は五回目のコールで鳴り止んだ。

「マフラーの件でしょ?どうだった?いつ取りに来るって?」

  予想は少しだけ外れてしまったが、実可子の好奇心に溢れた決めつけているような矢継ぎ早の質問は笑ってしまう程であり、マフラーの持ち主に伝言として伝えたくなる反応だった。

つづき「Incomplete Beginnings - 未完の始まり3」へ


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