ヴァギナビーンズ症候群「2」_ハッピーライフ-官能小説(happylives-novel)

牝獣(ひんじゅう)となりて女史哭(な)く牡丹の夜 ——日野草城

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ヴァギナビーンズ症候群「2」

15-06-14 10:32

この話はつづきです。はじめから読まれる方は「ヴァギナビーンズ症候群「1」」へ

アパートのつくりは一階と二階に分かれたメゾネット形式になっていて、一階部分にある和室を千佳が、それから二階部分の洋間一部屋を琴美が保有していた。
もちろんキッチンなどの水回りは一階部分にあるわけで、視たいテレビ番組があると言う千佳のわがままと、導線を考慮した結果、千佳のプライベートルームに酒の席が設けられることとなった。

「見た目は普通の唐揚げなのに、うまく化かしたもんだな」

「それってもしかして、褒めてるつもり?」

「もっとわざとらしいコメントのほうが良かったかな。鶏肉はジューシーで柔らかく、噛めば噛むほどにんにくと香草の風味が口いっぱいにひろがって、サクサクの衣とも相性がいいね」

「まったく素直じゃないんだから。美味しいの、美味しくないの、どっち?」

「最高」

そう言って親指を立てながら肉を頬張る明徳のそばで、本日の料理長でもある琴美はさっそく照れてしまった。
彼女にしてみれば今すぐにでも彼と同棲をしたいところなのだが、嫁入り前の娘だからなどと古臭い考えに縛られている親の反対がある以上、それは挙式が無事に終わるまでの夢物語になってしまったのである。
妹の千佳と一緒に住まわせているのも、都会での女性の一人暮らしがどれほど危険なことか、用心してもし過ぎることはないという親として当然の思いがあってのことだ。

「実家を離れれば、どこに出たって都会みたいなものよ」

自分の就職が決まってから、母親がよくそんなことを口にしていたなと、琴美はふと思い出す。

「三上さんはいつも何を飲んでいるんですか?」

すでに二本目に突入したカクテルの缶を片手に、千佳は顔色も変えずに尋ねてみた。

「僕はだいたいビールだなあ。生ビール、と言いたいところだけど、発泡酒が正解かな。まあ、それなりに酔えれば何だっていいのさ」

「じゃあ、お酒は強いほうなんですね。私もお酒は好き」

最後の「好き」という部分だけ微妙にイントネーションを変えて、千佳は明徳の顔をうかがう。彼からの反応はとくにない。

「そういえば琴美はアルコールに弱いんだったな」

「嫌いってわけじゃないんだけど、少し飲んだだけでもすぐに酔っちゃうから」

「お姉ちゃんは飲むより食べるほうが好きなんだよね?あ、こっちのシーザーサラダも美味しいよ」

「でしょう?料理好きなのだけは、お母さんに似たんだよね」

「私のお酒好きは、お父さん譲りかもね」

「やっぱり女兄弟がいるっていうのはいいな。賑やかだし、ほら、男ばかりだと暑苦しいだけだしさ」

明徳が胡座(あぐら)をくずして後ろに仰け反る。そして缶ビールを一口あおって残りをテーブルに置いた。

「私も一口、いいですか?」

その明徳の飲みかけのビールを味見してみたい千佳。ラベルには『期間限定』の口説き文句が印刷されている。
なるほどこういうのに女の子は弱いんだなあと、明徳は千佳のことを推察していた。
彼から「どうぞ」と渡された缶ビールを手にしてみて、なぜだか急激に胸が高鳴っていくのをおぼえる千佳。完全に異性を意識した動揺が、彼女の体を緊張させようとしていた。
たかだか間接キスぐらいで、なにを今さら躊躇っているのか。セックスでもなければキスでもない、姉の目の前で彼とおなじものを飲むだけの行為に、明らかに不純な興奮を隠しきれないでいる。
そして明徳の様子を見てみれば、すでに彼は千佳が先ほどまで口をつけていたカクテルに手をのばし、あたりまえのように飲むのだった。

「僕にはちょっと甘すぎるな」

そんな彼の無神経さも手伝って、千佳は思い切って缶ビールを飲み干した。

「苦味が抑えられてて飲みやすいですね」

そう言ってはみたものの、正直なところほとんど味はしなかった。飲み口に自分の口紅の跡を見つけて、指で軽くぬぐい取る。
これで一歩近づけた、そう思うとまたたまらなく明徳に触れたくなく千佳だった。
琴美も飲めないなりにアルコール度数の低い酎ハイをちびちび舐めては、女シェフを気取ってキッチンと和室を往復している。

「それにしても綺麗に片付いているね」

ぐるりと首をまわして明徳が部屋中を見渡すと、額縁におさまった表彰状やら、金銀のトロフィーなどが壁際に並べられているのに気付く。さらに弦楽器のハードケースも見つけた。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、それら四弦楽のうちのどれかだということはシルエットから想像できる。しかし、そのクインテットを背の高い順に並べろと言われたら、そのあたりの知識に欠ける彼にとっては、とうてい無理な話なのである。

「小学校に上がるまえからヴァイオリンを習ってたんです。ぜんぜん上手くならないですけど」

謙遜しながら千佳は言った。

「上手くなくてもこんなに賞をとれるのかい?」

「もう過ぎたことです。今は何の取り柄もなくなっちゃって、男を見る目もないんですよ私」

「彼氏はいないの?」

「じつは二股かけられてて……。だからこっちから振ってやりました」

「今はフリーってわけか。こんなに可愛いのに、もったいない話だな」

「え……?」

明徳はとくべつ込み入った話をしているふうでもないのに、千佳のほうはまるで違う。

「可愛くないですよ、べつに……」

「僕なんかに言われても嬉しくない、か」

彼に返す言葉がない。
咄嗟に「ありがとうございます」と言ってはみたものの、余計に変な空気になってしまった。
ちょうどそこへ琴美がやって来て、ラストオーダーは締め切りますよと言い、ようやく腰を落ち着けた。

「なんの話してたの?」

少し酔った顔で琴美は明徳に擦り寄る。

「千佳ちゃんも琴美に似て可愛いねって話してたところだよ」

「この子、最近彼氏と別れたばかりだから、誰かいい人いたら紹介してあげて?」

「お姉ちゃん。私のことはいいから、ちゃんと三上さんのことだけ見てなきゃだめだよ」

「千佳をおいて私だけ幸せになってもいいの?」

「私は、お姉ちゃんと三上さんを見ているだけで幸せなんだから」

「千佳……」

琴美は鼻が詰まりそうになるのをこらえた。

「お姉ちゃん、また泣いてる」

「泣いてないってば」

「あれ、千佳ちゃんも泣いてるの?」

そうして涙ぐむ二人を茶化す明徳。

「泣くなとは言わないけどさ、ちゃんと結婚式の日に泣けるようにしておいてくれよ」

明徳に言われ、琴美も千佳も泣きながら笑っていた。

どれくらい談笑していただろうか。琴美はぐったりと酔いつぶれて、ソファの上で静かな寝息をたてている。妹の千佳は手に泡を作って食器を洗っているところだ。
今夜はさすがに飲み過ぎたのだろう、明徳も途中でビールを辞退して、今は烏龍茶をやりながらアルバムを眺めている。千佳が初めて賞を貰ったときの、ヴァイオリン演奏会の様子をおさめたものだ。

「あんまりじろじろ見ないでください。恥ずかしいから」

洗い物を終えた千佳が髪からゴムをはずして、明徳と距離をとって座る。ゴムの跡がついたところだけ少し巻いているが、その長い髪は彼女の魅力を膨らませるにはちょうどいいボリュームを備えていた。

「小さい頃とほとんど変わらないね。いい表情してるし、よく撮れていると思うよ」

「お父さんに撮ってもらったんです。そのときの賞状なんかもほんとうは実家に置いてきたんですけど、親が勝手に送ってくるんです。どう思います?」

「どこも似たようなものさ。子どもはさっさと親離れできるのに、親はなかなか子離れできない。結婚してからもそれは変わらないと思うよ。親子はいつまでたっても親子だからね」

明徳の口から「結婚」という言葉を聞くたびに、千佳の心には微量な嫉妬が堆積していった。なにかのきっかけがあったなら、それはたちまち千佳自身を飲み込んでしまうほどのエネルギーを溜めていたのだろう。
姉と明徳を別れさせたいわけじゃない。少しだけ彼の気を引いて、今の関係よりも前進させたいだけ。片思いでもいいから彼のそばにいたい、それが千佳の本心だった。

「そういえば、視たいテレビがあるんじゃなかったっけ?」

そういえばそうだったと、千佳は慌ててリモコンのスイッチを押す。まもなく大きな液晶は作動音もたてずに映像を映し出し、目当てのチャンネルにたどり着く。
眠っている姉を気遣い、そろそろと音量を下げる妹。
ドラマはすでに重要なシーンに差しかかっていて、別れる、別れないと言う男女の台詞が聞こえてきた。そして現実逃避にも似た表情を浮かべた女は、ついに男の唇を受け入れてしまう。
お互い家庭を持つ身でありながら、それぞれの素性を偽り、その歯肉にまで舌を入れてキスをする。
まさかこんな場面を明徳と見ることになるとは、千佳にはまったく予定外だった。気まずいと思えば思うほど、さらに気まずくなる二人。
なにか笑えるような話題でも持ちかけてみようと、千佳が明徳のほうを向いた時だった。
そこにはもう視界いっぱいにまで彼の顔が迫っていて、おそらく千佳は『うっかり』していたに違いない。

およそ十秒間、いや、それよりもっと長いあいだがあったかもしれない。明徳の意外な行動に、千佳は呼吸をするのも忘れていた。
そしてゆっくりと自分から離れていく明徳に焦点が合うと、その感触が残ったままの唇に千佳は指を添える。

「あ……」

ようやく声らしい声が出た。

「あの……、これって……、何なんですかね……」

感情が溢れ出る前の静けさというものが、彼女のその言葉から読み取れる。

「何って、キスだよ」

こんな時にも明徳は紳士を貫く姿勢をとる。そして彼はもう一度、千佳の唇を奪った。
好きだと言う代わりに、上唇と下唇にだけ神経を費やし、性器同士を密着させるみたいに彼女の口を塞いでいく。
千佳は抵抗しなかった。どんなに目頭が熱くなっても、わけもわからず涙がこぼれても、この状況が理解できるまでずっとこのままでいようと思った。
琴美が眠っているすぐそばで、明徳と千佳は何度もつよく抱きしめ合った。

つづき「ヴァギナビーンズ症候群「3」」へ


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