この話は続きです。はじめから読まれる方は「変愛」へ
「ゆ、由起子さん、こんな事されたら我慢できなくなっちゃいますよ!」
僕は突然訪れた幸福に混乱した。そして絶対にからかわれているんだと思った。
「島田君、ごめんね。弟を思いだしちゃったの」
由起子さんは少し寂しそうな顔をしていた。
「弟?」
「そう。私には弟がいたの。昔はよくギュッと抱き締めていたの。そうすると凄く喜んだから」
由起子さんには弟が一人いて、ちょうど僕と同い年だったらしい。
「今、弟さんは?」
「病気で死んじゃった。」
「あ、すいません…」
「ううん、大丈夫。もう何年も前の話だから。島田君、下の名前『雄太』でしょ?弟は『裕太』だったの。」
「そうだったんですね」
「それに話し方とか、凄く似ているんだ」
「何か、すいません。辛い思いさせてしまって」
「そんな事ないんだよ。また会えたみたいで嬉しいんだから。だからついギュッってしちゃった」
「そう言って貰えると嬉しいです。それに由起子さんみたいな素敵な人に抱きしめて貰えるなんてラッキーですから」
「うまい事言っちゃって。あ、島田君、一つお願いしても良いかな?」
「何ですか?」
「私の事、由起ちゃんって呼んで欲しいの」
「何か恥ずかしいですけど。でも何でですか?」
「弟が私を呼ぶ時そう言っていたの。ねぇ、島田君、お願い」
黒い瞳が僕をじっと見ていた。僕は魔法でもかけられたように目を反らす事が出来なかった。
「わかりました。いきますよ。『由起ちゃん』」
僕は由起子さんを見つめたまま名前を呼んでみた。
由起子さんもじっと僕を見ていたが、ブワッと涙が溢れ始めた。
「ゆ、ゆうたぁ…寂しかったよぉ」
由起子さんは涙で顔中ぐちゃぐちゃにして、泣きながら僕か弟の名前を呼んでいた。
そして僕の両頬を掴み、顔を近付けてきた。目から涙、鼻から鼻水が垂れていたけど、汚いとは思わず、むしろ泣き顔もキレイだなとか思った。
由起子さんはそんな事を考えている僕に更に顔を近付け、キスをした。
涙や鼻水が顔について、ちょっと冷たかったけど汚いとは全然思わなかった。それよりもあまりの予想外の出来事に頭が整理できず、ぐるぐる回っていた。
由起子さんはキスだけでなく、頬ずりもした。
おそらく今までに僕の肌に触れた物の中で一番スベスベしていたと思う。
由起子さんがいっぱい頬ずりしたから、僕の顔は由起子さんの汁でべちゃべちゃに濡れた。
どの位の時間だったんだろう…よく覚えていないけど由起子さんは呆然とした顔で立っていた。
「島田君、ごめん…」
「いえ…」
由起子さんも僕も言葉が口に出せなくて会話が続かなかった。
何か気の効いた事を言おうと思ったけど頭が回らなかった。
無理矢理声を出そうとした瞬間に電話のベルが鳴り響いた。
「あ、電話だ」
由起子さんはその場から逃げ去るように自分の席に戻って受話器を取っていた。
僕は急に現実に引き戻されとても寂しくなった。
この場にいるのも気まずくなったので逃げるように営業バックを持って外出してしまった。
何の準備もせずに飛び出してしまったから、行先も決めてなかったので、とりあえず近くの公園の駐車場に車を止めて一服した。
頭の中では先程の情景がずっとぐるぐる廻っていた。そういえば顔中に涙とか付いたままだったと思いだし、頬を触ってみたけどすっかり乾いていた。指先の匂いを嗅いでみたけど特に匂いもなかった。
涙も只の水なんだなぁとか思っていたら、少し冷静さを取り戻した。
それで一番最初に思ったのは『普通、姉弟でキスはしないよな』という事だった。あれは絶対に普通じゃない。
あれこれ考えてみたけど、由起子さんに直接聞いてみようと思い、また営業所まで車を走らせた。
ラッキーな事にまだ誰も戻ってなかった。
「ただいま」
「お帰りなさい。あ…」
由起子さんは入って来たのが僕だとわかると、とても気まずそうな顔をした。
僕は気後れしそうになったけど勇気を出して言った。
「由起子さん、さっきの件、仕事終わった後に話がしたいです。」
「…」
由起子さんは無言で下を向いていた。
「良いよね、由起ちゃん」
僕は心の中で引っ掛かっていた台詞を言った。
「…うん」
予想通りだ。多分僕が由起ちゃんと呼ぶと断れないんだ。
僕は由起子さんと仕事が終わってから会う約束をした。
仕事が終わってからの事で頭がいっぱいで一日仕事が手につかなかった。外田所長の小言もうるさかったけど何とか乗りきって、約束の居酒屋に向かった。
つづく「変愛3」へ
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