(一) 文代は乱雑な事務机に向かっていつものように気の無い仕事をしていた。毎日単調で、いい加減うんざりしていたが、生活の為に会社を辞めるわけには行かず、少ない給料で仕方なく勤めているのだった。もう三十歳なのに男と付き合った事もなく、安アパートで一人侘しく暮らしている。両親からは見合いを勧められているが、自分の顔を思うとその気になれない。細い目に低い鼻、そのくせ頬は高く、目鼻が陥没しているようでもある。『こんなブス、誰が気に入るもんか』自分を嘲る毎日だった。 同じ職場には十二人同僚がおり、女は!
代を入れて四人。何れも独身で、文代が最年長。彼女たちは上辺こそ文代を先輩として立てているが、心の中では蔑み、嫌っているのは明らかで、特に麻美は事あるごとに嫌味を言い、行き遅れなどとけなすのだった。そんな麻美を当然文代も嫌い、挨拶すらしない。仕事中でも麻美を殴ったり蹴ったりする空想をしては憂さを晴らしていた。そんな或る時、「先輩、少しは片付けたらどうですか?」と麻美が文代の乱雑な机を見てやんわり注意した。文代は後輩を鋭く一瞥しただけで無視した。「怖い」麻美がわざとらしく言って自分の席に着くと、真向かいにいる真弓が、「あんまり係わっちゃ駄目よ」と、麻美に小声で忠告した。麻美は苦笑した。文代は二人を敵意の目で見、口を固く閉じて耐えるのだった。 !
家に帰り、スーパーで!
ってきた刺身や茶碗蒸しなどを食卓に置き、夕飯の準備を始めた。以前は色々と料理をしていたものの、ここ二、三年はそれが面倒になり、もっぱらパンや出来合いの物で済ませている。経済的にあまり余裕が無い為に外食はほとんどしない。テレビには素敵なレストランが映っており、それを羨みつつもいつものように堅実な食事をする。自分には所詮縁が無い・・・ただアパートと会社を往復するだけだ・・・。文代は諦めの心境でおり、そういう洒落たレストランで食事を楽しむ人々に今更嫉妬などはしなかった。『どうせ私は駄目な女だよ』準備を終え、彼女は食卓に向かってあぐらを組んで食べ始めた。しかし程無く麻美の事が頭に浮かび、箸の手は止まって茶碗も下ろした。あの女だけは許せない。何とか痛い目に合わ!
せてやりたいが、いざとなるとその勇気が無い。推理ドラマを見ている時に職場の同僚たちを半殺しにする空想に耽った事も何回かあるが、結局は妄想に過ぎなかった。「はあ・・・」文代は溜め息を吐いて又食べ始めるのだった。 彼女のもっぱらの楽しみは婦人雑誌で洋服やスカート、バッグなどを眺める事だった。高価でとても買えそうもないし、醜い自分には似合わないけれども、それら美しい物を眺めている間は現実を忘れて楽しい時間を過ごせるのだ。更に文代はモデルたちをも楽しんだ。自分とは違って美貌とスタイルに恵まれている若い同性たちが本当に羨ましく、ああなりたいと願っているのだ。そこに嫉妬が全く無いと言えば嘘になるが、憧れの方!
はるかに強い。『この子、いいなあ・・・』まるで!
自分に向かって微笑んでいるかのように愛らしい笑顔のモデルK。その他にもいろんな女性雑誌の中のプロ・モデルや読者モデルたちに惹かれ、特に気に言っている同性の写真は鋏で切り抜いて一枚一枚アルバムに貼ってある。いや洋服姿ばかりではない、ビキニ姿の美女や可愛い子の写真も多く大事に取ってある。『それにしても同じ女なのにこうも違うとは・・・』文代は職場の同僚三人を腹立たしく思い出していた。麻美、真弓、梓・・・憎らしい事に三人共器量が良く、同じ職場の男たちは彼女らと文代に対して[花とゴキブリ]と称し、文代個人を[職場のごみ][場違いの女]などと陰でばかにしている。男たちが彼女らと比べて自分をばかにしている事は文代も知っており、その為に一層三人が許せなかった。 !
(二) 「鈴本さん、きのう川口君と食事をしたんだって」女子トイレの手洗い場で真弓が麻美に楽しそうに話すのを、文代は大便をしている時に聞いた。「ええ!?」鏡に向かって口紅を塗り直していた麻美は少し驚いた調子で声を上げた。「だって川口君は年下でしょう?」「そう、つね。だけど前から好きだったんだって」「ふうん」麻美はそう言って又口紅を塗り始めた。「いいなあ。私もイケメンが欲しい!」羨ましがる真弓に麻美は、「あんたには無理」とあっさ!
言う。「何言ってるの。私だって」文代は同僚二人!
気付かれないようにじっと聞き耳を立てていた。彼女らは文代に聞かれているとも知らずにまだ油を売っている。「鈴本さん、川口君と結婚するのかなあ?」「まだ付き合ったばかりじゃないの」「だけど鈴本さん、もう二十七だから」「三十になっても結婚しない人がいるわよ」「あ、そうか」麻美と真弓はげらげら笑い出した。自分の事に違いない、と文代はむっとなり、我慢出来ずにトイレのドアを内側から拳で思い切り叩いた。その音に二人は驚き、慌てて逃げ出した。 トイレから自分の席に戻っても腹立ちは治まらず、机に向かって仕事をしている振りをしながら麻美と真弓を睨んだ。さすがに二人共ばつが悪い様子だ。文代は文句を言ってやろうと立ち上がり、麻美の所へ!
って、「ちょっと来て。あんたも」と真弓にも命じた。「何ですか?」麻美は椅子に掛けたまましらばくれて呟き、真弓も立とうとしない。「いいから来て!」文代の大きな声に男子社員たちがいっせいに振り向いたが、たまたま課長が席を外しているのは文代には都合が良かった。ようやく麻美と真弓は立ち上がり、渋々文代の後から付いていった。 他の社員に聞かれないようにと文代は後輩二人と共に職場から遠く離れた場所へと向かった。麻美も真弓も途中、「どこへ行くんですか?」と訝しんで尋ねたものの先輩は答えず、すっかり怒らせてしまった・・・と仕方なく付いていく。やがて文代は二人を女子更衣室の中へ入れた。どうして?と彼女らは怪訝な顔をしている。「!
随分ばかにしたもんだな」文代は怒気を含んだ口調!
後輩たちを責めた。「ごめんなさい・・・」真弓が謝り、麻美も「すみません」と口にしたが、少なくとも麻美はその表情から、本心では反省していない事が見て取れるので彼女を許そうとはしなかった。
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