蝶 1_ハッピーライフ-官能小説(happylives-novel)

牝獣(ひんじゅう)となりて女史哭(な)く牡丹の夜 ——日野草城

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蝶 1

16-04-16 05:27

―女の快感は女にしかわからないから―
女はそう囁いて誘惑した。
その言葉の意味も彼女の本当の狙いも気付かぬ
まま、私は禁断の誘いに乗った。

29歳の刑事菊原敦子が、殺人容疑で捕まった
婚約者武智雄介の濡れ衣を晴らそうと、単独行
動をとったのには訳があった。
被疑者が身近な者ということで彼女は本件の捜
査メンバーから外されたのだ。
だが彼の無実を信じる敦子は密かに伝手を通じ
て、事の真相に当たっていた。
「姐さん、この女が何か握っているらしい。け
ど、その先からなかなか俺っちの方では情報が
引き出せねえんですわ」
「そう。ありがとう。助かったわ。ここからは
私が動いてみる」
敦子はそう言って男に報酬を渡した。
情報屋が教えてくれた自称ジャズミュージシャ
ン水野夏菜という女はあるバーによく出没する
という。
敦子はそのバーを訪れた。
そこは2丁目のレズビアンバーであった。
「いらっしゃい。あらお一人?」
「ええ」
「初めてのお客様ですよね」
「・・・」
ママらしき中年女性が愛想良くカウンター席へ
と手招いてくれた。
敦子は差別する気など毛頭ないのだが、今まで
周りにそういった人達がいなかった為全く免疫
がなく、この店の雰囲気が好きではなかった。
「あの、こういう者ですが」
敦子はサッと手帳を見せてすぐさま胸にしまっ
た。
「・・警察が何の用?」
急にぶっきら棒な態度になったママが不審そう
な目を向ける。
「水野夏菜さんて方がこちらによく来られると
聞いたんですが」
ママは眉間に皺を寄せ表情を曇らせながらも、
敦子の前にお冷を置いた。
「さあ、どうかしらねえ。いちいちお客さん全
員把握なんてしてないから」
(やはりすんなりとは答えてくれないか)
ママの惚けた受け答えもある程度予想していた
ことだが、ここはどうしても引き下がれない。
その時、急に話に割って入るように若い女性が
敦子の横に座った。
「初めて見る顔ね。よかったら今夜私とど
う?」
年は二十歳過ぎだろうか、背中まで伸ばした黒
髪がサラサラと綺麗な女性だった。
(何?この女。ナンパ?相手見て物言いなさい
よ)
敦子が怪訝そうな顔をこの若い女性に向けてい
る間に、ママは他の客と談笑し始めてしまっ
た。
「あっ、ちょっと・・・」
「あなたこういう所初めて?ママ、気利かせて
くれたのよ。ねえ、あなた見て、ビビっと感じ
ちゃった」
「あの、私人を探しに・・・」
積極的に言い寄る女を払いのけるようにして無
視するママに助けを請う。
「気が合うじゃない。私も今一人なんだ。ただ
いま恋人募集中。お互いのこともっと知る為に
もこの後二人で素敵な所に行かない?ねえ?絶
対に後悔なんてさせないから」
「いや、そういう意味じゃなくって」
すり寄る女を露骨に嫌がる振りをして睨む。
すると女はグッと耳元に顔を寄せ囁いた。
「ここだけの話、私、あっちの方、スゴいわ
よ。一晩中でもアナタの・・・・舐めてあげ
る」
(怖っ!何なの、こいつ?この世界じゃあこん
なの当たり前なの?)
自分がこのアバズレ女と裸で抱き合う姿を思わ
ず想像してしまい鳥肌が立った。
この場から逃げ出したくなる気持ちをグッと堪
え、冷静に対処する。
「いえ、本当に結構です。私はこういう者でそ
の気はありませんので」
サッと手帳を見せた。
ポカンとする女を尻目にママに再び助けを請
う。
「ここに頻繁に姿を見せることはわかってるん
です。どうかご協力を」
するとママから意外な言葉が飛び出した。
「何言ってるの?あなた、さっきから本人と喋
ってるじゃない」
「えっ?!」
水野夏菜は話について行けず、ポカーンと口を
開いたまま敦子を見つめていた。

「さあ」
最初は刑事らしく夏菜に尋問していた敦子だっ
たが、知らぬ存ぜぬの一点張りの夏菜に業を煮
やして口調も次第に荒くなっていた。
「知らないわけないでしょ。裏は取れてんの
よ」
「・・・」
「刑事さんそういうことは他所でやってくれな
いかねえ」
「すいません」
「私はいいわよ。警察にでもどこでも連れてき
なさいよ」
敦子は渋い顔をした。
本来なら参考人として署に同行願いたいところ
なのだ。
が、秘密裏に動いている以上、そんなこと出来
るわけもなかった。
そんな心の葛藤を見透かすかのように夏菜が顔
を覗き込んだ。
「貴女、本当に刑事?」
敦子は焦っていたのだ。
焦っていたから、つい本音が出た。
「お願い。助けて。もうあなたしかいないの」
頭を下げ藁をも掴む思いで縋り付いていた。
これには夏菜も意外そうに目を丸くさせてい
た。
婚約者を助けるため、プライドもかなぐり捨て
敦子は頭を下げた。
そして今の切迫した窮地を解かってもらうため
、事の経緯をこと細かく話した。
「ママ、彼女にも私と同じものを」

「ふ~ん、刑事さんも大変ねえ。で、何してく
れんの?」
「えっ?」
「こっちだって危ない橋渡ろうっていうのよ。
喋りたくないこと、教えてあげるんだから、そ
れ相応の見返りがあっていいんじゃない?」
「ほ、本当に?わかったわ。お金なら今はない
けど、近日中になんとか用意するから」
敦子は希望の光が差したように明るい顔になっ
た。
「んん~、それもいいけど。私はもっと違うも
のが欲しいわ」
「えっ・・・何を」
夏菜の右手が敦子の左手に重なる。
「さっきから言ってるじゃない。貴女が欲し
い」
「・・・じょっ、冗談でしょ!」
敦子は彼女がレズビアンだということも忘れ、
一瞬何を言っているのかわからず困惑した。
「冗談なんかじゃないわ。ここはビアンの発展
場よ。あなた、自分の魅力に気付いてないの?
ほら、周りを見て。さっきから女達が私が振ら
れるのを期待して待ってる」
確かに肌を突き刺すようなギラギラした視線を
先程から感じていた。
職業柄そういうことには敏感なのだ。
だからといって敦子はまだ彼女の本気度を推し
量りかねていた。
まだ自分が同性と肌を重ねることなど現実味を
もてなかったし、最初軽いノリで接触してきた
夏菜をどうしても信用出来ずにいた。
だが、いつの間にか彼女の瞳に妖し気な光が宿
っていることに気付かされる。
敦子の心拍数が鰻登りに上がっていく。
「わ、私にそういう趣味は無いわ・・・」
「あなた、女知らないでしょう?」
「だからそう言ってるじゃない!」
敦子は少し怒ったように言葉がきつくなった。
「フフ、怒った顔も素敵。いいものよ、女同士
も。恐らくあなたが思ってる以上に自然で、夢中になれるものよ」
「困ります。私には婚約者が」
「その婚約者を救うためでしょ。こう言っちゃ
あ何だけど、幸い彼は拘留中。あなたさえバカ
正直に言わなければバレることはないのよ。た
った一晩私と寝るのと、フィアンセが無実の罪
で犯罪者のレッテルを貼られ結婚自体破談にな
ってしまうのと、どちらがいいか考える必要も
ないと思うけど」
「・・だからと言って、会ったばかりの女の人
を相手に体を売るなんて、刑事の私に
は・・・」
「そんな難しく考える必要ないって。別にお金
の受け渡しがあるわけじゃないし。今夜偶々出
会った女二人が、お酒の勢いも手伝って同じベ
ッドで一晩を過ごす。それだけのことよ。
ねっ?(・・・裸でだけど)」
「・・・本当に彼の無実を証明してくれるんで
しょうね」
「もちろん。これはギブアンドテイクなんだか
ら。悪いようにはしないって」
夏菜は小さく頷いた。
「・・・いいわ。但し今夜だけよ。あと彼には
絶対・・」
「わかってる」
夏菜の指が敦子の左手の薬指に輝く婚約指輪を
覆い隠すように絡みつく。
敦子は身動きできぬまま、全身の毛穴から汗が
噴き出るのを感じた。
「可愛い。震えてるの?この事は二人だけの秘
密。そして私からは二度と誘ったりしない」
夏菜が妖しく微笑む。
チャラいだけの年下女にバカにされたような気
になって敦子は少しムッとした。
「そうと決まったらこんな所サッサと出て早く
済ませてしまいましょ」
(そうよ、こんな事全然大したことじゃない。
今までだってもっと絶望的な状況を潜り抜けて
きたんだから)
「まあそう焦らない・・・ふ~ん」
夏菜がじっくりと敦子の瞳を覗き込む。
「何よ・・・?」
「強い女は好き・・・今夜はひょっとして思っ
てたよりずっと楽しい夜になるかも」
「気持ち悪いこと言わないで。いくら一度寝る
からって私があなたのものになる訳じゃないん
だからね」
「あれ、気を悪くさせたならごめんなさい。褒
めたつもりなんだけど。でも決して後悔させる
ようなことはしない。だって・・・」
夏菜がスッと敦子の耳元に顔を近づけた。
「女の快感は女にしかわからないから」
その言葉が妙に色っぽく感じ、敦子は思わずド
キリとした。
(そう、どうってこと・・ない・・・はず)

二人が去った店のカウンター奥では常連客が、
心配そうにママに訊いていた。
「ママ、今の刑事でしょ?夏菜、警察に捕まっ
たの?」
ママは煙草の煙を勢いよく吐き出す。
「フウー。どうだろうね。捕まっちまったの
は、今夜は刑事さんかも」
「えっ?どういうこと」
常連客は首を傾げ不思議そうな顔をしながら再
びグラスを手にした。


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