いとこの家で過ごしたときのエッチな思い出は……
18-11-21 02:11
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父子家庭で育った私は、夏休みになると祖父母のいる叔父の家で過ごすのが常であった。
叔父には同い年の娘、それより4つ上の兄がいて、私を従えて遊び回るのだった。 ランドセルを担ぎはじめて4度目の夏。 叔父家の兄は私の家に遊びに来ていた。 初めてのアウェイに勝手の違う彼は、自分の土俵に持ち込んでやりたかったのだろう、風呂に入る段になって、「チンチン見せてみ」と私の包皮を弄りだした。 皮と皮を合わせる私と従兄。 包皮と亀頭が互いの間で擦り合わされる。 従兄は私の肛門を弄りだす。 当時の私は行為の意味を全く理解していなかった。 薄ぼんやり、気持ちよいと思っていただけだった。 次第に擦られるだけに飽きた私は、従兄の肛門に自分のペニスを擦らせてくれと頼みだす。 この時は自分が主導権を取りたかっただけなのだろう。 同性愛なんて概念があることすら思いもよらなかった。 事実、その行為自体にたいした快感があるわけではなかった。 従兄の肛門に押し当てる己のペニスという以上の意味はない。 フロイトがなんというかは知らないが。 そして、従兄弟とのホーム滞在を終えた私は例年通り叔父家へと向かう。 叔父家滞在も3日を過ぎた頃、私は妹の方とじゃれあっていた。 彼女がちょっと変だなと感じたのは2日も過ぎた頃だった。 田舎の旧家にありがちな屋根裏の納戸に誘われた私は、彼女の放尿を見学させられることになる。 未だに分からないのは、どうやって彼女は自分の放尿を見せつけるなどという因果な性癖を身に付けたのかということ。 今にして思えば従兄の影響かとは思う。 「ちょっと見てて」 ジャンパースカートを捲ってパンツを下ろし、しゃがんで放尿する彼女に躊躇いも恥じらいもなく、一方、幼い私はただ惚けて眺めるだけだった。 彼女がそのとき何を思っていたのかはもう分からない。 彼女の放尿は私の告げ口で一段落する。 2階の納戸などという薄板で放尿すれば早晩家人にバレると思うのだが、ここでの行為がバレたのは私のせいだったようだ。 踊り場で捕まった彼女は観念したのか、促されるままに下着を下ろし、母親の膝の上に乗る。 赤く染まる尻、情報を処理が追いつかない私。 彼女は折檻自体には慣れているらしく、赤い尻に下着を巻きつけると、「ごめんなさい」と涙も出さずに階段を上がって行った。 彼女が折檻に慣れているのが分かったのは次の日、私の目の前で糞をした時だった。 朝起きると彼女に犬の散歩に誘われる。 ミニチュアダックスフンドのリードを掴んで2人は山の方へ向かう。 山の斜面に造成された新興住宅街をすり抜けながら、朝霧に靄る住宅街を歩く。 「ちょっと持っててね」 突然、彼女がリードを渡し、道路脇の側溝に屈む。 剥き出しの尻、ムリムリとひり出される便。 (我慢できなかったのか?前の次は後ろを見せたかったのか?) 彼女を露出狂に仕立てたであろう従兄と語りあえないのを残念に思う。 未だに忘れられないし、私の性癖を決定づけた出来事だったのに。 尻を拭くでもなく下着を上げる彼女。 私はぼおっと、パンツが汚れないのかなと思っていた。 リードを握り締めながら。 夢うつつで家に戻った私は、出された朝食の皿をひっくり返し、叔母に叱られたのだった。 この時点で私は何かを悟っていたのだろう、朝の出来事を叔母に注進して次への期待に震えていた。 期待と興奮でじっとりと下着を濡らして。 しかし、私の期待は肩すかしにあう。 叔母はあまり興味も示さず、朝食を台無しにした義兄の息子をどう扱うべきか思案している様だった。 昼も過ぎた頃、従妹に風呂に誘われる。 否、風呂に入っていた彼女に入っていいか尋ねたのは私だから、これは言い訳だろう。 私は湯船に浮かぶ彼女の尻を見て深く満足したからだ。 ナイロンたわしに石けんを擦りつけながら目は彼女から離れなかった。 機会は夜に訪れた。 彼女の兄も交えて白熱する鬼ごっこ。 2階建て+納戸を無尽に駆けて、いつしか主戦場は仏間へと移動する。 畳を投げあい、最後に彼女が仏壇に突っ込んだ時には、私はここが余所の家であることを忘れていた。 母親に仏壇をめちゃくちゃにしたことを告げる彼女。 彼女だけのせいではないのは明らかだが、叔母は娘に対する教育の機会と捉えたようで・・・。 正座で見つめる男2人。 今度は泣きだす従姉。 パンツは剥ぎ取られ、赤を越えて朱に染まる尻。 緊張で動けない男2人。 喉は渇き、周りの空気がゼリーのように感じられる。 この時、私の性癖は完成されたのです。 今、私に息子しか出来なかったのは悲しい半面、ほっともします。 この子が女の子なら今頃どうなっていたか、少しゾッとしてしまうからです。 微かな期待を抱き続けながらも。 私と従弟は外に締め出されると、しばらく家に入らないように言い渡された。 暗い庭で2人黙ったまま、引き戸からは微かに彼女のすすり泣きが聞こえていた。 夏夜とはいえ肌寒さに尿意が耐え難くなった頃、やっと子供部屋の布団に戻ることを許されたが、寝付くことは出来なかった。 隣に寝る彼女をそっと揺する。 反応がないままに寝巻きを捲り上げ、静かに下着を下ろす。 下着に手をかけ、彼女を窺いながら、私の時間は引き延ばされ、鼓動は耳に痛いほどだった。 彼女の尻を弄り、性器を開き、オレンジ色の豆電球に照らされた肛門を弄るうちに私は舌をそこに差し入れていた。 彼女の使う石けんの香りと皺の凹凸を舌先に感じ、今度は指を入れてみる。 熱い直腸の先には固くコロコロした便が触れる。 指を抜き挿しするうちに私は射精していた。 触りもしないで出たのはこの時が最初で最後、何よりこの時が初めて精通だった。 彼女が起きるのか起きていないのか、もう窺う余裕はなかった。 肉体の変化に戸惑いながら、「男は気持ちのいい液がちんちんの先から出るのや」と言った父の言葉を思い出していた。 トイレから戻って下半身をそのままにした彼女の姿を見た時、初めて私はこの状態を何とかしなくてはと思った。 彼女の下着を上げる私には周りに気を使う余裕はなく、叔父夫婦に見つからなくて良かったと今になって思う。 私の叔父家滞在はこうして終わった。 次に彼女ら兄妹に会ったのはその年の冬であった。 その年の冬、父は勤め先の海外進出に伴いシンガポールに単身赴任が決まった。 私といえば、叔父家に居候が決まっていた。 父がなぜ私を1人残したのかは未だに尋ねてはいない。 冬休み前に学校のお別れ会を済ませ、年明けから従兄妹たちの学校に通うことが決まっていた冬休みも終わりかけの一月。 炬燵に入っていた私は従兄妹の宿題を眺めながら、ぼうっとしていた。 クリスマス前からいた叔父家にも慣れ、彼女とは毎日風呂にも入っていた。 もう彼女の下着を下ろすこともなく、私の関心は新しいクラスのことに向けられていた。 彼女の太ももを触ったのは偶然であった。 触り続けたのは私の意志ではあったけれども。 彼女は拒否しなかった。 出来なかったかも知れないとは当時は思いもよらなかった。 調子に乗った私は彼女の下着の中に手を差し入れた。 彼女の陰部はぬかるんで私の指を奥に誘っていた。 小さなツブツブが感じられる膣内を弄りながら、不意に彼女はキツく太ももを閉じ合わせると、私の手を挟んだまま静かに痙攣した。 その日から彼女との関係は変わってしまった。 この後の学校生活はほとんど覚えてはいない。 従兄妹とは違うクラスに編入され、慣れない方言と慣習に戸惑いながらも、関心は放課後の自宅に向けられていた。 従兄は自分の友達と遊ぶのに忙しく、パート勤めの叔母が帰ってくるまでの2時間、私の相手はもっぱら従妹がした。 私は炬燵に入って漫画を読む彼女の陰部に手を入れるのが習慣になっていた。 どちらも性的な話はしなかった。 炬燵の中で私が彼女の下着に手を入れると、そっと腰を上げ、それを助ける彼女がいただけだった。 一度だけ、休みの日に叔母が買い物に彼女を誘った時、私の目を見ながら行くのを断った時、確かに私たちは幼い快楽に結ばれていた。 「いいよ、おうちで待ってる」 叔母と従兄が出て行くなり、私たちは貪りあった。 玄関を出ていくのも待ちきれず、彼女は下着の上に穿いているブルマを下ろすと私を見つめて、「暑いね」と言った。 気づくと私は自分の舌を彼女の性器に押し当てていた。 尿の残滓を舌先に感じながら、このままの時がずっと続けばいいのにと思っていた。 私は包皮に覆われたペニスを彼女に押し当てつつ、(俺は今、すごいことをしている)と思っていただけだった。 舌と指とペニス・・・。 私は初めての女性に夢中になっていた。 彼女が私に好意があったかもしれないなどとは思わなかった。 気持ちの良い穴、気持ちの良い身体。 好意が嫌悪に変わるのはそう早くはなかった。 彼女はじっと耐えていた。 ある日、いつものように炬燵の中で彼女の陰部を弄っていると、不意に彼女は炬燵から立ち上がった。 子供部屋に駆け込むと、大きく低い泣き声が響いていた。 今なら、もう終わりだとわかっているのだが。 その時は泣いているとしか分からなかった。 何かが失われているのは分かったが、それが何かは理解できなかった。 その日から、彼女は炬燵に入ることがなくなり、私も彼女に話しかけられなかった。 時折、叔父夫婦と彼女の会話に紛れ込ませてもらえるだけだった。 慣れない学校、息の詰まる自宅。 一時帰国の父親が再婚を告げた時、衝撃と共にほっとしたのは忘れられない。 こうして私の短い居候生活は終わり、長い年月が経った。 新しい母には年下の男の子がいたが、結局仲良くはなれなかった。 大学を出て実家には帰ることなく、8年目に義弟は結婚した。 この8年の間に親戚一同は大きく様変わりしていた。 叔父は叔母と離婚しており、従兄は叔母と共に郷里に移り住み、会うことはかなわなかった。 叔父はカナダ人と再婚していた。 彼女はいなかった。 その時は妻の手前、尋ねることができなかった。 世間話から、彼女は留学でアメリカに行っていることだけが分かった。 それから3年後。 私は30歳を越えていた。 子供の幼稚園選びをしなければいけないと嫁に言われ、近所の品定めをしている時、継母から電話で、「いとこが自殺した」と告げられた。 一瞬、随分会っていない従兄のことかと思ったが、従妹女だった。 皺の目立つ死化粧の彼女は余りに歳を重ね過ぎていて、記憶の彼女と結びつかず、私は自分の思いを持て余していた。 青白い彼女・・・、もう繋がらない記憶。 離婚した叔母に引き取られた従兄は行方が知れず、叔父たちに彼女のことを尋ねるのも億劫であった。
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